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[9]闘いの海

永尾俊彦 ルポライター

「海で闘えば負けません」

 小長井漁協の漁師・松永秀則さんは、またしても決起した。2007年3月8日午前9時過ぎ、5人の漁民が松永さんの「宝迎丸」に乗り込み、出漁した。

 だが、この日の漁場は諫早湾を閉め切る潮受け堤防の北部排水門前で進む「導流堤」設置工事の海域だ。

 農政局は、潮受け堤防の前に「導流堤」という潜堤(海面下の堤防)を設置しようとしていた。これは、アサリやカキなどに甚大な被害を与えている調整池からの排水(淡水)が海水と混じりやすくし、排水が沿岸の漁場を直撃しないよう諫早湾の中央部に導く効果があるとされていた。

 空洞の台形のコンクリートブロック(縦5メートル、横6メートル、高さ2・3メートル)を潮受け堤防の南北2カ所にある排水門の前に1列400メートルで3列(北部2列、南部1列)、合計170個並べる計画で、同年2月26日に着工した。

 しかし、同漁協が06年9月に開いた全員協議会では、98人の組合員のうち36人が、「導流堤」が設置されれば漁場がつぶされ、潮流が弱まり、ヘドロがたまるなどとして反対した。

導流堤建設工事現場そばで投網を打つ松永秀則さん=2007年3月、撮影・筆者

拡大導流堤建設工事現場そばで投網を打つ松永秀則さん=2007年3月、撮影・筆者
 松永さんら有志は工事海域での「漁」をし、工事を止めさせた。干拓事務所は「漁をやめてくれ」とは言えなかった。

 「漁業権は強いですね」

 松永さんの仲間の漁師・土井修さん(52=当時)がしみじみと言った。

 松永さん、土井さんら小長井漁協の組合員有志は06年、漁業権に関心を持ち、熊本一規・明治学院大学教授(環境法規)を招いて4回ほど学習会を開いた。

 熊本教授によれば、漁業権とは地域住民が山林や地先の海に入り合って共同で薪や魚介類をとる江戸時代以来の伝統的な入会権の系譜を引く権利であり、「総有」に基づくという。

 「共有」であれば、一つの所有権を分割でき、各人は持ち分権を自由に売買できるが、「総有」は、持ち分権はあるが、自由に売買できず、引っ越せば失う。これは、地域の自然を地域の人々が維持管理するための古人の智慧でもある。

 この「総有」という概念は、しかし、近代的な概念ではないので、近代法にはなじまなかった。

導流堤建設工事現場のそばで、漁ができないと干拓事務所の職員に抗議する松永秀則さん(右)=2007年3月、撮影・筆者拡大導流堤建設工事現場のそばで、漁ができないと干拓事務所の職員に抗議する松永秀則さん(右)=2007年3月、撮影・筆者
 そこで、明治の漁業法は入会集団である漁協に漁業権を免許し、同時に組合員が漁業を営む権利を持つと工夫することで、「総有」を近代法で規定した。古人の智慧を近代法に生かしたこの工夫のことを「漁業法の哲学」という。

 だから、本来漁業権は漁協にではなく漁民個人にある。従って漁民全員の同意をとらないと着工はできないのだ。ところが、農水省は漁業権が漁協に免許されるという点だけをとらえて、漁業権は漁協にあると主張する。だから漁協が了解すれば工事はできるという立場だ。

 しかし、これは「漁業法の哲学」を理解しない間違いだということを漁民は熊本教授から学んだ。そして、導流堤設置を阻止するには、いつも通り「漁」をすることだと知り、実行したのだった。

 「漁業権のある海で闘えば負けません」

 熊本教授はこう言った。

「あんたのやり方でやりんしゃい」

 自分たちの持つ漁業権の強さを知った松永さんらは、この頃から「理論武装」をして組合で開門を主張するようになった。メディアの取材でも公然と開門を訴えるようになった。

 それで、この「導流堤」問題をめぐり、小長井漁協は新宮隆喜組合長を中心とする「導流堤」賛成、干拓推進の多数派と松永さん、土井さんら「導流堤」反対、干拓見直しの少数派に分かれて対立した。憎悪と不信で理事会はいつも怒鳴りあいになるという。

 かつては新宮組合長らに一方的にやり込められるばかりだった松永さんだが、嵩下正人さんによれば、この頃から「新宮組合長も「『松永』という名前を聞いただけで具合が悪くなる」ようになったのだそうだ。

 松永さんは、「工事やっとる連中も、本当は『導流堤』が悪いとわかっとる」と言う。だが、干拓と「導流堤」に賛成すれば、農政局や県などが小長井漁協に発注する漁場の濁りや底質などの調査で月に30~40万円、工事の誘導船の仕事で日当3万円などの「アメ」を組合長から割りふってもらえるという。

 しかし、干拓工事は漁民の座り込みなどで1年遅れたとはいえ、2007年度には終わる。だから、その後も生活していくには、「補助依存型の漁業ではなく、自立できる海に戻さんば」と松永さんのように考える漁民が少しずつ増えていった。「漁」に参加した土井さんはこう言った。

 「導流堤は11億円かかるが、漁場の回復は排水門から海水を出し入れするだけでタダ」

 また、連載(6)で書いたように、小長井漁協を含む諫早湾内3(当初は4)漁協には長崎県などから「諫早湾水産振興特別対策事業」(「トクタイ」)として、アサリの養殖場に入れる砂や稚貝の購入などのために毎年1億2000万円前後の補助金が支出されている。

 しかし、トクタイがなくなるとタイラギ漁壊滅後、小長井漁協の柱になっているアサリ漁も壊滅するのは火を見るより明らかだった。だが、トクタイは干拓工事終了と共に07年度で終わることになっていた(筆者注・その後2013年度まで延長された)。

 このトクタイをめぐって、松永さんら「導流堤」建設反対の漁民は、トクタイはいずれ終わるのだから開門してかつての泉水海を取り戻すべきだと考えている。他方、新宮組合長や嵩下さんらは、なるべくトクタイを延長してもらい、トクタイがなくなっても県、国の補助金を受けられるようにすべきだと考えている。

 嵩下さんは、土木・港湾工事を請け負う会社「マリンワークエージェンシー」を漁民の素人会社から脱皮させるために干拓工事がなくなっても一般の土木工事を請け負えるよう技術力を高める努力をしてきたという。また、水産物の直売所を国道沿いにつくるよう漁協に提案し、補助金を出してもらうよう農水省に陳情に行ったりもした。

 タイラギに代わる漁協の柱としてカキの養殖試験をして目途をたてたのも自分だ、と嵩下さんは言う。「マリン」がリースした工事台船はカキの名産地広島県の瀬戸内海から曳航されて来たもので、その台船にカキの稚貝が付着していた。それが諫早湾で「プリップリッ」に大きくなり、試しに食べてみたら美味だった。そこから嵩下さんはカキに着目したそうだ。

 このように、現実的に漁民が生活できるようにしてきたという自負が嵩下さんにはある。だから、松永さんたちの阻止行動を ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。