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[10]形成逆転 

永尾俊彦 ルポライター

「人質」にとられたトクタイ

 小長井漁協の松永秀則さんたちは、排水門を開けて海水を出し入れさせたい。しかし、それを農水省が拒否するなら、排水はさせないという立場だ。

 それで、2007年3月以降も「導流堤」の工事現場ではえ縄を張り、「漁」を続けた。その現場は、南北に二つある排水門のうち北部排水門だったので、排水門を管理する長崎県は北部は使えず、南部からだけ排水せざるをえなくなっていた。

 これに対して、同年6月、干拓事務所と長崎県諫早湾干拓室の職員が小長井漁協に来て、「導流堤ができないと補助関係も前に進みませんよ」と言ったという。補助関係とはトクタイ(「諫早湾水産振興特別対策事業」)のことだ。私は県の諫早湾干拓室に電話で確認した。

 「財政課から『導流堤に反対している所になんでトクタイの予算をつけなけゃいかんのか』と言われる可能性があると言いました」と認めた。トクタイを言わば「人質」にとって、漁民に脅かしをかけているのだ。

 「そこまで言われたら、トクタイがつかなければ自分たちのせいにされてしまうな」と松永さんは考えた。

 その上、導流堤に賛成する小長井漁協の役員らが導流堤建設とトクタイ継続の要望書を作り、賛同しろと組合員の署名をとって回った。そして、結局「導流堤」反対派は切り崩された。同年7月、松永さんははえ縄を引き揚げざるをえなくなった。

 そして、それまで止まっていた北部排水門からの排水が再開され、8月25日には460万トン、東京ドーム4杯分もの量が排水され、その後小長井漁協のアサリがほぼ全滅してしまったのである。死滅したのは約1200トン、被害額は3億円に達する。

アサリが全滅し、漁場にしゃがみ込む松永秀則さん=2007年9月、撮影・筆者

拡大アサリが全滅し、漁場にしゃがみ込む松永秀則さん=2007年9月、撮影・筆者
 松永さんもアサリ20トンが全滅する被害を受けた。北部排水門から2~3キロ先にある松永さんの養殖場に行ってみると、口をあけたアサリの死骸がびっしりと広がっていた。

 「天災で何年かに一遍アサリが死ぬならまだあきらめもつくが、明らかに人災。毎年これをやると、もうやんなるですよ」

 松永さんは養殖場にしゃがみ込み、力なく言った。

 だが、長崎県の金子原二郎知事は、担当職員から小長井沖はしょっちゅう赤潮になってアサリが死ぬと聞き、「そんな所は(養殖は)やめたらいいのではないか」と言い放った(07年8月27日、定例記者会見)。

怒る漁民、笑う漁民

 2007年11月20日、長崎県諌早市のホテルで諫早湾干拓事業の完工を祝うパーティーが開かれた。黒塗りの高級車で続々と会場に入っていく長崎県知事や国会議員、農水省の役人らの参加者に、漁業被害はこの干拓が原因だとする松永さんなど漁民ら約30人がオテルの外で煮えたぎる怒りをぶつけた。

 「漁民ば殺して、酒はうまいか!」 ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。