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町田樹の挑戦(下)――スポーツとアートの狭間で

青嶋ひろの フリーライター

 そして、この夏。アイスショーに出演した福岡で、また大阪の関西大学で。

 何度か彼の話を聞かせてもらったが、そのたびに少し複雑な気持ちになってしまった。オフシーズン、町田は初めて自分自身で振り付けたプログラム「白夜行」をアイスショーで滑り、大きな手ごたえを得ていたのだ。

 今は、「こんなプログラムはどうだろう?」「あんなコンセプトはどうだろう?」とアイディアが溢れ出て仕方がない、と言う。大学ではアート系の授業をたくさん選択しており、学ぶことも面白くてしょうがない、と。

 これまでは、国内外の振付師たちとともにプログラム作りをしてきた彼だが、ひとつの作品を全てひとりで作り上げた自信で、アーティストとしてまたひとつ階段を上がったのだろう。引退後はコリオグラファーとしても、挑戦したいことがたくさんあるようだ。

 オリンピックシーズンだというのに、彼はそんな話ばかりをする。話の中身はとてつもなく濃いし、興味深い。しかし彼のアーティスティックな意欲が強ければ強いほど、聞いていて不安になってしまったのだ。

 「ちょっと待って。もしかしてあなたは、オリンピックに向けて、もう本気じゃないの?」

 「本気ですよ! もちろんソチ五輪には出たいです。でも、今年の刑事たちの成長ぶりを見ていると、もうそろそろ若い選手が台頭してくるころかな? 世代交代の時期かな、とも思うんです……」

グランプリシリーズ、スケートアメリカ(アメリカ杯)で優勝、帰国した町田樹 =2013年10月22日グランプリシリーズ、スケートアメリカ(アメリカ杯)で優勝、帰国した町田樹 =2013年10月22日

 正直、今年の町田も難しいかもしれない、とその時は思った。例年どおり、話題になるプログラムは作り上げてくれるだろう。しかし最も多くの人々に町田樹を知らしめてくれる、あの舞台にたどりつくことは、難しいのではないか、と。

 たった三つの日本代表を賭けた、日本男子6人の戦い。これだけ力が拮抗していれば、最後に必要になるのは、気持ちの強さだ。

 そんなとき、ひょっとしたらあなたの持っているアーティストとしての気持ちの高まりが、邪魔をするかもしれないね、という話もした。彼には、クリエイターとしての才能と、それを花開かせようという大きな夢がある。

 オリンピックに行けなくても、自分には歩みたい道がある。そんな逃げ道があることが、待ったなしの戦いの場では、弱さにつながってしまうのではないか、と。

 フィギュアスケートは、ほんとうに難しい。ジャンプが大好きな若者が、このスポーツをアートとして捉えるまでには、時間がかかる。そしてひとたび「見せる意識」に目覚めてしまったら、それが勝負のかかった修羅場では、足枷にもなる――。今シーズン、世界一複雑なスポーツの魅力を、そして同時にその難しさも、町田樹は見せてしまうかもしれない、と。

 しかし10月、シーズンイン。蓋を開けてみれば、いきなり激戦のスケートアメリカ、優勝である。

 しかも繰り返し映像を見返したくなる素晴らしいパフォーマンス、かつ、世界歴代5位という高得点も話題になる、圧巻の勝利。かつてはどんなに語っても大きく取り上げられなかった彼のこだわりや個性的な考え方も、初めて大きな脚光を浴びた。

 「こんなに面白い選手だったとは! 今まで注目してこなかったこと、懺悔しますよ」

 「これだけ話をしてくれて、自分の考えをしっかり持っているアスリートを、嫌いになる記者なんていませんね!」

 と、いきなりメディアにも大人気である。スケートカナダが終わった時点で、パトリック・チャンや羽生結弦もスケートアメリカの町田の得点に及ばず、未だ今季のISU最高得点保持者。いったい何が、どうなってしまったのだろうか?

 実は複雑な思いを感じた夏のインタビュー後。町田樹から1通のメールが届いていた。

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