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五掛けだった六本木フラワー事件・石元太一被告への判決

久田将義 TABLO編集長

 2012年9月2日。東京・六本木のクラブ『フラワー』で、世間を揺るがす襲撃事件が起きてから、一年以上が過ぎた。襲撃グループの関東連合の名前が「全国的に」知られたのは、この事件によってであろう。

 それ以前から、酒井法子覚せい剤事件や押尾学MDMA事件、そして市川海老蔵暴行事件などで関東連合の名前が、週刊誌などで取り沙汰されてはいた。芸能界と暴走族OBがなぜ六本木・西麻布で仲よく酒を飲んでいるのか、と言った疑問を持たれた方が多かったと思う。この頃から徐々にマスメディアに「関東連合」という名前が登場し始め、「いったい、関東連合とは何ぞや」といった論調の記事が見受けられた。

 そして六本木フラワー事件によって、一気にその名前がお茶の間にまで広がった。連日、ワイドショーなどでこの事件を取り上げ、報道も熱を帯びていった。こうした動きを重くみた警察庁は、関東連合や、友好関係にある中国残留孤児を中心に結成された暴走族「怒羅権」らを「準暴力団」と規定した。

 これは企業舎弟やフロント企業よりも、より暴力団に近いと位置づける規定だ。組織犯罪対策課の刑事に取材した所、「同じ罪を犯したとして、より罪が重くなるのは準暴力団だ」と答えている。

 そういった背景の元に行われた、六本木クラブ襲撃事件の公判である。この襲撃事件の主犯である見立真一容疑者は逃亡中。関東連合の中でも影響力はトップにあると言われている人物である。

 その次に世間に知られていたのが、12月19日に判決を迎えた石元太一被告である。メディアにおいては「関東連合元リーダー」と称され、自伝を出版したり雑誌のインタビューなどに答えたりして媒体露出も目立っていた。従って、裁判員たちは石元太一被告をこの事件の首謀者である、と判断するのではないだろうかと予測していた。検察の「求刑22年」を見てもやはり、石元被告を見立容疑者と並ぶ重要に立ち位置にいると見ているのだなと感じた。

 しかし、判決は11年。俗に言う「五掛け」である。これを軽いと見るか妥当だと見るか。僕は当初、

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