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和食の未来を支える足元が危うい

大矢雅弘 朝日新聞天草支局長

 「和食」が昨年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産として登録されたことは、改めて日本の食文化のすばらしさを印象づける出来事だった。

 だが、現実の暮らしの中では、和食に親しむ機会が減り、家族がそれぞれ好きな時間に勝手に好みのものを食べたりする「食卓崩壊」といった現象などが指摘され、和食の文化が見失われてしまいかねない懸念材料として挙げられている。

 さらに、ほとんどの消費者が知らないところで、和食の未来を支える足元が危ういことになっている。醬油(しょうゆ)やみそ、酢、みりん、お酒という発酵調味料は、和食の基礎調味料だが、50年後とか、100年後には、本物の和食の基礎調味料がなくなってしまう状況にあるという。

 そんな危機感を抱くのが、香川県・小豆島で昔ながらの木桶(おけ)仕込みの醬油(しょうゆ)をつくるヤマロク醬油の5代目の山本康夫さんだ。明治初期に創業したヤマロク醬油は木桶で仕込む伝統的な製法を頑なに守ってきた。蔵には現在、61本の杉桶がある。

 山本さんは2009年、大阪府堺市で工房「藤井製桶所」を営む上芝雄史さんに新桶を注文した。現在、醬油を醸造できる大きな木桶を作る最後の1社だという。上芝さんによると、醬油屋で新桶を作ったのは戦後初めてだそうだ。

 上芝さんによると、木桶の寿命は約200年という。木桶の新品を使うのは日本酒メーカー。それが、25年ほどすると、アルコールが欠乏し、減少しやすくなって、醬油屋や味噌屋で利用されることになり、最後は漬けもの屋で利用されて寿命を終えるという、実によくできた仕組みだった。

 ところが、戦後、日本酒業界では10年くらいの間に急速に木桶からホーロータンクに移行していき、日本酒の業界から木桶が消え、それが醬油屋や味噌屋に流れていったという。木桶による醸造が比較的多く残るのは醬油と味噌の業界だが、木桶を使い、昔ながらの手法で醸造された醬油や味噌の生産量は1%に満たないとされる。山本さんは「うちなんか、絶滅危惧種。いつなくなるかわかりません」と言ってはばからない。

 山本さんによると、いま使われている木桶は戦後からの桶なので、いまの中高年世代が生きている間は木桶で醸造ができるが、このままいくと、子や孫の世代には、いま使われている木桶はもたない。上芝さんも、70歳を超える2020年あたりをめどに退くこともほのめかしている。上芝さんのところが桶を作らなくなって、桶が朽ちれば、先祖から受け継いだ醬油が絶えるかもしれない。

 基本的な和食の基礎調味料が、いまはほとんど工業製品という現状のもと、50年とか100年後に本物の和食の基礎調味料がなくなるという話が現実味を帯びてくる。山本さんが危機感を募らせるのも無理もない。

 山本さんは「いま、技術を受け継がないと、木桶の味が守れなくなる」と12年1月、地元の小豆島の大工2人を誘って、上芝さんに弟子入りし、3個の新しい桶を組み上げた。その後、「自分で桶を作ろうかな」と思い、昨年9月に1個、工房の手を一切借りずに新しい桶を作った。その桶は今年仕込みをして、醬油としての出来上がりは3年後の17年秋になるという。

 「木桶は最高の醸造条件」と言い切る山本さんの木桶へのこだわりを知ったのは、兵庫県西宮市の平野龍平さんのおかげだ。平野さんは一昨年、財団法人コレゾ財団を設けた。これからの暮らし方や生き方、考え方の手本やヒントになる活動をしている人をたたえるための賞として「コレゾ賞」を贈る活動をしている。

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筆者

大矢雅弘

大矢雅弘(おおや・まさひろ) 朝日新聞天草支局長

1953年生まれ。長崎、那覇両支局、社会部員、那覇支局長、編集委員。その後、論説委員として沖縄問題や水俣病問題、川辺川ダム、原爆などを担当。2016年5月から現職。著書に『地球環境最前線』(共著)、『復帰世20年』(共著、のちに朝日文庫の『沖縄報告』に収録)など。

 

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