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[1]完璧の団体戦。王者プルシェンコが羽生結弦に火をつけたのか?

青嶋ひろの フリーライター

 フィギュアスケート団体戦、試合開始前。会場となるアイスバーグの雰囲気は、まだ全然「オリンピック!」ではなかった。

 会場そのものは、水色を基調に美しく装飾され、1年少し前、グランプリファイナルの時より数段おめかしをしている。派手さはなく、この場所の個性を強くアピールはしないが、そのぶん選手にいいパワーを与えてくれそうな、そんなリンクだ。

 しかし集った人々――観客、大会関係者、ボランティア、記者……彼らはまだ、オリンピックの空気に慣れずにいる、という雰囲気だ。待ちに待ったぞ! ついに始まる! 誰が勝つんだ? というオリンピック独特の、すべての人から発せられる高揚感が、なぜかまだない。

 今日はまだ開会式前でもあるし、種目も未知の新種目、団体戦。やってみなければどんな位置づけになるかわからない種目を前にして、「でもこれ、一応オリンピックなんだよな……」とでもいったようなムード。

 だいたいお客さんの入りからして、寂しいのだ。収容人員1万4000という決して大きくはない会場、2階席はほぼ埋まっているものの、1階席は3分の1ほど空いているだろうか。観客はほぼロシア人で、フィギュアスケートの大きな試合なら必ずやってくる、アメリカ、カナダの大応援団がいない。冬季五輪きっての人気種目のはずの、フィギュアスケートで、これはいったい……。

 「おそらく海外からの観客は、男女の個人戦でわっと押し寄せてきますよ。団体まで見に来てしまっては、あまりに長期の滞在になってしまうから、諦めたお客さんが多いようです。だから今日のチケットを買ったほとんどは、地元のロシアの方。あまりにも高い1階席は敬遠して、ほとんどみんな、2階席に殺到したようですね」

 とは、アメリカの旅行会社関係者。

 確かに日本人割り当ての観客席も、空席が目立って少し寂しい。フィギュアスケートの試合では、下位の選手が滑る時間はまだ会場が「温まっていない」雰囲気になるが、今日はまだオリンピックそのものが「温まっていない」、そんな感じだろうか……。

 試合もイギリスやウクライナなどの男子選手の演技から、淡々と始まっていく。「ちっともオリンピックっぽくないな。ごく普通の試合と、あまり変わらないじゃない」――試合開始当初は、たぶん誰もが、そんな思いだったはずだ。

団体戦男子SPで2位のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)
拡大団体戦男子SPで2位のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)
 ところがこの空気を、たったひとりでオリンピックの色に染めてしまった男がいた。

 言うまでもなく男子ロシア代表、エフゲニー・プルシェンコ、その人である。6分練習で彼が姿を現した時も、観客たちは大喜びで「ロッシーア!」コールが巻き起こったが、本番滑走は、また違った。

 出てきた彼の、その纏(まと)っているものの何かを感じると、人々は引きずられるようにヒートアップしていったのだ。

 緊張感はきれいに保ちながらも、悠々と醸し出す、王者の貫禄。大歓声に対しては、「俺に任せろ!」とでもいうように、胸を叩くようなしぐさで応える。オリンピック感がほぼゼロだったアイスバーグに現れて、いきなり彼ひとりで、この場所がメダルの決まる世紀の大一番のような空気を作り出してしまった……。

 彼はオリンピックでも世界選手権でも、いつでも主人公でいることに慣れている。しかし、いきなりたったひとりで、その場の空気をオリンピックのものに塗り替えてしまう! そこまでのプルシェンコの力を見たのは、初めてだった。お客さんが既に湧いているだろう個人戦ではなく、微妙な空気の団体戦だったからこそ見られた、彼という存在そのものの力だ。

 「こうなってみると、オリンピックというお祭りには、この人が選ばれてしかるべきだった、と思いますね。他の選手では、とてもこんなことはできない」。そう、誰かが唸るようにつぶやいた。

 ロシア代表選考過程の紆余曲折も、たぶんプルシェンコ自身に影響しているのだろう。ロシア選手権を制したマキシム・コフトゥンや、ヨーロッパ選手権でコフトゥンを上回ったセルゲイ・ボロノフなど、若い選手が選ばれてしかるべきではないか。そんな声は、ロシア国内だけでなく、海外でも強い。

 それでも選ばれた彼は、ここで結果を出さなければ、というプレッシャーを、感じていたのか、いないのか。「ここに立つのは、やっぱり俺だろう?」と言いたげなオーラを発したまま、見せたのは――軽々と決めた4回転から始まる、壮絶なショートプログラム! 

 余裕さえ感じる滑り出しから始まり、観客席への投げキスでどよめきを起こし、パフォーマンスで人々を煽り……いきなりエンジン全開の、吠えるような2分40秒。齢30歳になるが、ここ数年のアイスショーで見た彼よりも、ずっと若々しくエネルギッシュに見えてしまった。

 観客のコールはもう、「ロッシーア!」ではなくなっていた。「ジェーニャ! ジェーニャ!(エフゲニーの愛称)」。この国の人がめったに発することのない、ただひとりの個人名を呼ぶ声が渦を巻く。ソチオリンピックは、やはりプルシェンコのオリンピックなのか――この時点では、誰もがそう思うまでに圧倒されていた。

 海外の観客が極端に少ないこの日、ロシア以外の選手たちにとっては、めったにないほどのアウエイな試合だった。どの国の選手にもあたたかな拍手を送る「スケートファン」は、まだこの場に来ていない。男子でプルシェンコのライバルとなる選手には、お客さんは特に冷たくて、どんなにいい演技をしても彼らのヒーローが滑った時ほど、大きく沸こうとはしない。

 そのアウエイ感をもろに食らったのが、カナダのパトリック・チャンだろう。苦手なトリプルアクセルに力が入りすぎ、ステップアウトしてしまったのは痛い。

 しかしそれ以上に、滑りの質、スピード、何よりも音楽に彼自身が入りこめていない様……すべてでパトリックの良さが影を潜めている、こんな演技は見たことがない。オリンピックの空気に飲まれた……というよりも、「プルシェンコの作ったオリンピック」に飲まれてしまったようにも見えた。

 では我らが日本代表、彼はどうだったか?  ・・・ログインして読む
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筆者

青嶋ひろの

青嶋ひろの(あおしま・ひろの) フリーライター

静岡県浜松市生まれ。2002年よりフィギュアスケートを取材。日本のトップ選手へのインタビュー集『フィギュアスケート日本女子 ファンブック』『フィギュアスケート日本男子 ファンブック Cutting Edge』を毎年刊行。著書に、『最強男子。 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』『羽生結弦物語』(ともに角川つばさ文庫)、『フィギュアスケート男子3 最強日本、若き獅子たちの台頭 宇野昌磨・山本草太・田中刑事・日野龍樹・本田太一」(カドカワ・ミニッツブック、電子書店で配信)など。最新刊は、『百獣繚乱―フィギュアスケート日本男子―ソチからピョンチャンへ』(2015年12月16日発売、KADOKAWA)。

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