2014年02月19日
とにもかくにも、史上稀に見る、10代のオリンピックチャンピオン誕生である。
10代のチャンピオンはディック・バットン以来66年ぶり、とのことだが、バットンは今から10年ほど前まで、アメリカのテレビ放送で辛口解説者としてならしていたおじさんである。あまりに好き勝手にきついことを言うので、「なんなの、このおじさん?」「なんだか実は、すごい人らしいよ……」という会話が何度となく繰り返されていた、あの、ディック・バットン!
もちろん滑る姿など、見たことはない。そんな人物以来の10代チャンピオンとは……彼のなしとげたことの大きさが、よくわかるというものだ。
しかしここからが羽生結弦にとって、茨の道だ。彼自身が一番驚き、一番悔しがっているだろう、今回の勝ち方。チャンピオンらしい演技での勝利でなかったことは、彼自身が一番よく知っているだろうし、この先何をしなければならないかも、よくわかっているだろう。
こうなってくると、他者に勝つことよりももっともっと難しいことが、彼自身には課せられてしまったかもしれない。
前稿(「羽生結弦を中心に始まった『4回転時代』への新たな挑戦」)に詳述した通り、現在の男子フィギュアスケートは、あまりにも高難度なエレメンツの数々と、他の芸術と並んでも見劣りしないほどのパフォーマンスの両方を求められる、ちょっとありえないスポーツになってしまった。
それでも彼らはアスリートである以上、目指さなければならない。自分たちの作ったこのスポーツの求めるもの、たどりつかなければならない場所はある。その先陣を切るべきポジションに立ったのが、羽生結弦だ。
彼に、そんなことができるのか? もちろん、大丈夫だ! 今回の金メダルはうれしいだろうが、「これで俺は五輪チャンピオン!」と過信することなど、彼ならばないだろうから。
2012年の秋、スケートアメリカのショートプログラムで、初めて史上最高得点を更新した後。彼に聞いたこんな言葉を思い返してみたい。
「ここから先、僕が22、23歳くらいになったころ――自分がみんなを引っ張っていけるような選手になれたら、うれしいですよね!
そんな存在だったのが、パトリック(・チャン)選手であり、(エフゲニー・)プルシェンコ選手です。彼らはあまりにも強くて、ひとりでタイトルを総なめにする状況を作ってしまった。誰も彼には勝てない、そんな口惜しさが、世界中の男子みんなに芽生えた。みんなが、プルシェンコを負かそう、パトリックを負かそう……そう思って、すっごくうまくなって、時代は変わっていったんです。
時代を変えていくような選手は、必ずいます。だから自分は、そんな存在になりたい。パトリック選手がいても高橋(大輔)選手がいても文句がないくらい、しっかりトップにふさわしい選手になりたいんです」
また同じころ、早くもソチ後の男子シングルのことを、こんなふうに予想もしてくれている。
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