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[13]浅田真央とトリプルアクセル(1)

やめられなくなった重い挑戦

青嶋ひろの フリーライター

 もし浅田真央がキャリアの途中でトリプルアクセルへの挑戦をやめていたら、現在のようなポピュラリティは、維持できなかっただろうか?

 否。トリプルアクセルは彼女のすべてではなく、彼女が挑戦をあきらめても、また新たなストーリーとともに浅田は支持されていただろう。

 もし浅田真央がトリプルアクセルを跳ばない選手になったら、現在のトップ選手の地位を維持できなかっただろうか?

 否。アクセルではなく、3回転‐3回転のコンビネーションジャンプやスケーティングなどに練習時間を割いていたら、別の要素で難なく点数を稼ぎ、今と変わらないトップスケーターのひとりとして数えられていただろう。ソチ五輪のショートプログラムでも、十分最終グループに残れる順位はキープしていたはずだ。彼女にはそれだけの、スケートのセンスがある。

女子SPで16位になった浅田真央女子SPで16位になった浅田真央
 浅田真央の、最後かもしれないオリンピック。そのショートプログラムでの、3つのジャンプミス。

 成功していたら大喝采で称えられていただろう大技への挑戦も、こんな形で終わってしまえばどうしても、「なぜそこまでして、トリプルアクセルにこだわったのか?」という方向に、考えがいってしまう……。

 アクセル以外のジャンプまで失敗してしまったのは、精神的な要因以外の何物でもない。気持ちの上での負担も大きいあの大技さえなければ、縮こまるほど緊張していたとしても、1ミス程度におさまっていたのではないか。

 振り返れば、ソチ五輪の女子ショートプログラムは浅田真央ひとりだけが、違う時代で戦っていたようなものだ。男子と違い、現在の女子トップ選手に、4回転やトリプルアクセルなどの大技は必要とされない。3回転‐3回転までのジャンプを確実に決めて、いかにミスを少なくクリーンなプログラムを見せるかが、焦点となっている。

 彼女たちは男子選手が4回転に時間をかけるように、大技に練習時間をとられることもない。本番で大技が決まるかどうか、精神的な負担もそこまでは感じない。そのぶん、基礎的なスケーティングの練習やプログラムの滑り込みに時間をかけられるし、試合でもよりジャンプ以外に気を配ることができる。それが、浅田以外の選手が戦っている土俵だ。

 そこからひとりだけ離れ、彼女だけが男子選手のように、アクセルの練習とその他の要素やスケーティングなどの練習を両立し、本番でも彼女だけのプレッシャーと戦わなければならなかった。並の努力では、なしえないことだ。

 それを果敢と呼ぶか、無謀と呼ぶか――彼女の挑戦が成功したか否かで、変わってしまうだろう。ソチ五輪の団体戦3位、個人戦16位という結果を前にすれば、どちらかは自ずと答えが出てしまう。

 なぜ、浅田真央はトリプルアクセルに、そこまでこだわらなければならなかったのか?

 前稿(「浅田真央と佐藤信夫コーチ秘話――信頼と葛藤の日々」)でレポートしたように、コーチの佐藤信夫氏は、できれば大技にこだわらず、フィギュアスケートのエッセンシャルな部分をより磨き上げる方向を目指していた。それでもアクセルにこだわったのは、どうしても捨てきれなかったのは、浅田自身だ。

 日本にはどうしても、誰もできない技への挑戦や、人とは違うジャンプの習得に重きを置いたり、もてはやしたりする傾向がある。そんな挑戦は伊藤みどり以来、日本の伝統になっているところがあり、どこのリンクでどの選手がこんなジャンプを跳ぶらしい、などという噂は、いつもスケート界を駆け巡っている。

 もちろんそんなチャレンジはマイナスではなく、未来に向けて明るい話題だ。現在はジュニアの大庭雅や本郷理華がトリプルアクセルに、加藤利緒菜が4回転サルコウに挑戦しているが、彼女たちが練習で跳べたという噂を聞くと、やはりわくわくしてしまう。インタビューでも、「トリプルアクセル、練習してるんだね。どんな調子?」などと聞いてしまう。これは世界でも珍しい、日本のスケート界独特のものかもしれない。

 彼女たちの挑戦は純粋で、果敢で、ストレートに応援したいものだ。しかしそこに乗じてなされる画一的で単純な報道が、時に選手たちを苦しめることにもなっている。

 以前、あるテレビ局のインタビューを傍で見ていて、しつこいくらい同じ質問ばかり選手に繰り返す様子に驚いたことがある。

 選手は安藤美姫で、

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