「跳べるが故の苦しみ」を乗り越え、スケーターとしての完成形を見たい
2014年02月20日
(承前)
しかし彼女自身にそんなことを問えば、浅田は笑って応えるだろう。
「そんなことないですよ! トリプルアクセルは、真央が跳びたいから跳ぶんです!」
その気持ちもまた、嘘でも強がりでもない。日本のスケート界の風潮、持ち上げるメディア、その影響が少なからずあったとしても、練習して練習して、やっと手に入れたジャンプは、誰に言われるまでもなく彼女自身の誇りであり、宝だ。
現在の彼女の挑戦の根本には、人から強要されたからでも、期待されたからでもなく、純粋に自分自身が跳びたい気持ちが一番大きくあるのだろう。
ジャンプ技術のピークが10代に来てしまう女子シングルの場合、年齢とともに自身の最高の武器をシフトしていく選手は多い。少女時代に跳べていた高難度ジャンプから、大人の女性らしい成熟した滑りへ――。
トリノ五輪のフリーで3回転‐3回転を封印し、美しいスケートを生かしたクリーンなプログラムで金メダルを勝ち取った荒川静香。浅田同様の雑音に囲まれながらも、4回転サルコウへのチャレンジを中断し、パフォーマーとして幅を広げる努力をした安藤美姫。
ソチ五輪の出場者でいえば、カロリーナ・コストナーがそうだ。27歳、オリンピック出場3回目の彼女は、かつて跳んでいたジャンプのレベルを完璧にはキープしていない。しかしそれを補ってあまりある、厳かで清らかな彼女だけのスケートを、ショートプログラムで見せてしまった。女子のフィギュアスケートが描き出せる一番美しい世界を、ソチの氷の上に出現させてしまった。
勝つために、プライドを持っているジャンプを諦める苦しみだ。誰も跳べないジャンプを、せっかく跳べるのに――跳べるからこそ諦めなければならない苦しみは、大きい。
それでも大切なジャンプ以上に見せられるもの、見せるべきものがあることに気づき、彼女たちは新しいチャレンジに向かう。
「ほんとうのフィギュアスケートって何か――やっとわかったような気がしました」
これは、跳びたかった3回転ルッツ‐3回転ループを構成から外してプログラムを美しくまとめあげ、世界選手権の表彰台に返り咲いた安藤美姫の言葉である(09年)。
またオリンピックにおいても、ジャンプ技術の10代vs.女性の美しさの20代、という図式は、これまで何度も見られた。
カタリナ・ビット、クリスティ・ヤマグチ、荒川静香ら、後者の魅力で勝利した20代チャンピオンも少なくない。浅田もそんな勝ち方でソチ五輪を制する力は、十分あったはずだ。
現在でさえ、登場しただけで場を圧するような気高さがあり、誰よりも美しい舞姿を見せる浅田真央なのだ。ジャンプを諦めた大人の挑戦にシフトしていれば、もっと壮絶な世界を見せられていたかもしれない。
今回、3つのジャンプを失敗し、しおれてしまったプログラム「ノクターン」は、間違いなく浅田真央史上最高傑作だ。その完成形をオリンピックの晴れ舞台で見られなかったこと……何よりもそれが、残念でならない。
だから、もう4年……とは言わない。もう少しだけ、スケートを続けよう
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