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[11]激減した底生動物

永尾俊彦 ルポライター

 2013年の有明海奥部のヨコエビやゴカイなどの底生動物の平均生息密度が、1997年4月の諌早湾の閉め切り以後、最低を記録した。諫早湾保全生態学研究グループ(代表:東幹夫・長崎大学名誉教授)が2月までにまとめた調査結果で、明らかになった。

2013年6月に有明海奥部で採集された多毛類=撮影・佐藤慎一(2014年2月24日)拡大2013年6月に有明海奥部で採集された多毛類=撮影・佐藤慎一(2014年2月24日)
 底生動物とは、漁獲対象となる有用魚介類の食物として極めて重要な水底に生息する生物で、ヨコエビ類やゴカイ類(多毛類)、貝類、エビ・カニ類などが含まれる。

 東教授らは、1997年から有明海奥部の約50定点で毎年6月に底生動物の平均生息密度の調査を続けている。

 諌早湾が閉め切られた直後の1997年6月の調査では、1平方メートルあたりの平均生息密度は7858個体だったが、年を追うごとに減り、2001年6月は3646個体と、4年でほぼ半減した。

2013年6月の有明海採泥調査の様子=撮影・佐藤慎一(2013年6月17日)拡大2013年6月の有明海採泥調査の様子=撮影・佐藤慎一(2013年6月17日)
 ところが、翌2002年4月に短期開門調査(連載(8)で既報)が行われた直後の6月の調査では、一気に2万387個体と、前年6月の約5.6倍になった。

 しかし、短期開門調査後の03年からまた減りはじめた。不思議なことに原因不明の3年周期で増減を繰り返しているが、長期的には低落傾向にあり、2013年6月には1949個体と過去最低を記録した。

 また、東教授らが底生動物の中でも個体数の多さから特に重視するヨコエビ類の平均生息密度も底生動物全体と同じ傾向にある。

 諫早湾が閉め切られた直後の1997年6月はヨコエビ類は3281個体だったが、2001年6月には266個体と12分の1にまで減った。

 だが、2002年4月の短期開門調査後の同年6月には一気に1万5077個体と前年01年の57倍にも増えた。

底生動物の平均生息密度拡大底生動物の平均生息密度
 ところが、短期開門調査後の03年からまた減りはじめ、底生動物全体と同じようにヨコエビ類も3年周期で増減を繰り返しながら、2013年は310個体で、過去2番目の低さだった。

 エサがなければ魚が育つわけがない。

 諫早湾・有明海の、特に魚をとる漁船漁業は壊滅的な状況に追い込まれているが、東教授は、この調査結果を「漁業不振の原因を示しています。これは、漁業にとって極めて深刻な事態です」と言う。

 個体数が激減する時期については、調査時点の6月かその前年の夏に有明海で海水中の酸素濃度が極端に低い「貧酸素水塊」が観測された年と一致する傾向にある。

 このため、「不思議な3年周期」は貧酸素水塊と関係があるのではないかと東教授は見ている。

底生動物が激減した原因

 では、なぜ貧酸素水塊が発生し、底生動物が激減したのか。 有明海は、「泥の海」だ。透き通った青い海ではなく、濁っている。これは、筑後川(福岡県)などの有明海に流入する河川によって運ばれた泥が、「浮泥」となって海中を漂っているからだ。

 この浮泥が反時計回りの潮流に乗って運ばれ、堆積して諌早干潟をはじめ有明海沿岸の広大な干潟を形成した。

 有明海は、速い潮流と日本一と言われる5メートルもの干満差(潮汐=潮の満ち引き)によって絶えず浮泥が漂っているのが特徴だった。この大きな干満差と速い潮流によって海底にまで酸素が供給されたのでタイラギをはじめとする貝類やゴカイ類、ヨコエビ類など底生動物もよく育った。

 また、大きな干満差と速い潮流よって浮泥が海中を漂っていると、浮泥は河川から流入する生活雑廃水などに含まれるリンやチッソを吸着するので、リンやチッソを栄養分にする赤潮プランクトンの発生を防ぐことにつながる。そして、リンやチッソはノリの栄養分でもあるのだが、赤潮プランクトンの発生が防がれれば、ノリの栄養分を横取りされなくてすみ、ノリの色落ち被害も防げる。

 この大きな干満差、速い潮流、そして浮泥こそが有明海を魚も貝もノリもよくとれる「宝の海」にした核心なのだ。

 これを東幹夫・長崎大学名誉教授は「奇跡のシステム」と呼ぶ。

 しかし、諫早湾の閉め切りで干満差が減少し、それに伴い潮流も遅くなったことが宇野木早苗・元理化学研究所主任研究員、灘岡和夫・東京工業大学大学院教授らの研究によって推察されていた。そして実際、閉め切りの前と後で有明海の潮流の流速が全域で平均12%、島原沖では20~30%も遅くなっていることが九州大学大学院の小松利光教授らの研究調査結果によって裏付けられた。

 潮流が遅くなることは、海底の底質が泥っぽく、細かくなることにつながる。東教授は、「川の流れの速い『瀬』では、粒の細かい泥は流され、粒の大きい砂や砂利が堆積しますね。しかし、流れの遅い『淵』では泥が堆積しますよね。同じことが海底でも起こるのです」と説明する。

 事実、東教授らの研究グループは有明海の底質の調査を続けているが、閉め切り後に海底の砂地が細粒化し、泥化していることを明らかにした。砂地を好むタイラギなどが棲みにくい環境に変わったのだ。

 潮流が遅くなることは、海をかき混ぜ、酸素を供給する力も弱める。その結果、海水の上層と下層が混合しない「成層化」が起き、下層の海底には酸素濃度の極端に低い貧酸素水塊が発生し、底生動物や魚介類は棲めなくなって移動したり、死滅する。他方、上層には河川から流入する生活雑廃水などに含まれるリンやチッソがたまる。

 また、潮流が遅くなると浮泥が海底に沈むので前述の海中のリンやチッソを吸着する働きも衰える。

 さらに、浮泥が沈むと海の透明度が上がる。すると、強い日差しで上層にたまったリンやチッソを栄養分にする赤潮プランクトンが増殖し、ノリの栄養分を横取りして色落ち被害を引き起こす。

 熊本県立大学の堤裕昭教授の研究で、1997年の閉め切りを境に有明海の赤潮が発生期間、面積ともに大規模になっていることが分かっている。

 赤潮プランクトンは死ぬと海底に沈み、分解の過程で酸素を消費するので、これも貧酸素水塊の発生につながる。

 干満差・潮流の鈍化と並んでもう一つ有明海の環境を悪化させた原因は諫早干潟の消滅だ、と多くの研究者が指摘している。水質浄化機能が失われ、諌早湾を閉め切った潮受け堤防と干拓地の間に設けられた調整池からの汚濁した淡水が大量に有明海に排出され、汚染源になっている。

 これらの有明海の環境の激変ぶりを象徴的に表しているのが、海底の底生動物の激減なのだ。

 「諫早湾の閉め切りによって連鎖反応的に『奇跡のシステム』が崩壊したのです」と東教授は言う。そして、これは短期間に自然環境が大きく変わる「レジーム・シフト」だと指摘した(詳しくは、『日本の科学者』46巻11–17頁参照)。

開門調査が必要な科学的根拠

 しかし、短期開門調査によって底生動物は激増した。これは一体なぜなのか。単なる偶然なのか、開門と関係があるのか。 ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。