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[12]壊された法制度

永尾俊彦 ルポライター

 この連載第1回(2012年8月10日)で書いた「国が確定判決を履行しない」懸念が、ついに現実になってしまった。

 有明海の不漁は、農林水産省が干拓のために諫早湾を潮受け堤防で閉め切ったせいだとして長崎、佐賀、福岡、熊本の有明海沿岸4県の漁民と市民約2500人が排水門の開門を求めた裁判で、福岡高裁は漁業被害と干拓の一定の因果関係を認め、5年間の開放を命じた。その際、代替の農業用水の確保などの開門準備工事に3年間の猶予を与えた。当時の菅直人首相は上告せず、判決は確定した。その期限が2013年12月20日だった。

 高裁が3年間の猶予を与えたのは、農水省が開門準備に3年かかると主張したためだ。しかし、この3年間、農水省はほとんど開門準備の工事をせず、時間を浪費し、ついに期限を過ぎてしまった。

確定判決をなし崩しにする農水官僚

 菅元首相が福岡高裁判決を受けて入れた際、漁民は「万歳!」と叫んだ。これで排水門は開門される。そうすれば、毎年夏場に有毒アオコが大発生し、アサリの大量死などの原因になっている汚染源の調整池に海水が出入りするので浄化される。何より、有明海の早い潮流や大きな干満差(潮汐)が回復し、かつての「宝の海」が甦る(連載(11)参照)。

 現在の諌早湾干拓事業の前身の長崎南部地域総合開発事業(南総)の、そのまた前身の長崎干拓事業(長干)の着工が認められたのが1964年だ。以来、半世紀近く続いた漁民と農民の長い争いにもようやく終止符が打たれる。漁民は涙を流し、抱き合って喜んだ。法治国家で、国がまさか確定判決を守らないなどとは、つゆ疑わなかった。

 しかし、この3年間を振り返ると農水官僚は当初から確定判決という司法の命令すらなし崩しにしようとしてきたように見える。

 当初、調整池の代替の農業用水として農水省は地元の農民が最も嫌う地下水案をわざわざ持ち出した。大きな河川がない諫早平野では、農業用水を地下水に頼っている地域もあり、大量にくみ上げるので地盤沈下に悩まされてきた。

 諌早市森山町の「干拓推進住民協議会」のリーダーは、「ひどい所は音を立てて沈んでいく」と言った。そして、「地下水で水田をやっている所が他にありますか。ここは、農水省が造った『欠陥田』ですたい」と批判した。農民もまた、農政の被害者なのだ。

 諫早平野は干拓で開けてきた低地帯なので、農地は排水不良になりやすい。ちょっと雨が降ればすぐに農地に水が溜まり、作物は腐ってしまう。それが、地下水くみ上げによる地盤沈下でよりひどくなる悪循環に陥っていた。

 だが、諫早湾の閉め切りで調整池の水を農業用水に使えるようになり、地下水取水をやめたため地盤沈下も治まった。

 だから、農民は以前の悪循環に戻ってしまう地下水案に「絶対反対」だった。そして、農民が地盤沈下に苦しんでいたことは、農民が繰り返し改善を要望してきた農水省がよく知っているはずだった。

 にもかかわらず、農水省は地下水を得るためのボーリング調査を強行しようとした。それで、農民に実力で阻止された。

 その後、開門の最終期限が半年後に迫った2013年7月になって、やっと地下水案を断念したが、今度は349億円もかけて海水を淡水化する施設を6カ所造って代替水源に充てる計画に変えた。

 しかし、海水淡水化施設で農業をやっている先行事例はまだあまりなく、また海水を淡水化した後に残る塩分濃度の高い排水をどこに捨てるのかなどの問題もあることから農民は納得しなかった。

 農水省は、2013年に3回にわたって準備工事に着手しようとしたが毎回農民が現場にピケを張り、実力で阻止した。

 ちなみに、2002年夏に4県漁民が干拓工事を阻止するために現場に座り込んだ際は、お盆休みに工事はしないだろうと漁民が現場の封鎖を解いたすきに同省九州農政局は着工した。

 それに対して、地下水のボーリング調査の際も準備工事の際も、農水省は着手する日時を毎回事前に農民側に伝えていた。これは、「工事を阻止してください」という合図を農民側に送ったようなものだ。

 また、農民らは「国有地につき、関係者以外立ち入りをご遠慮願います」という看板が立ててある場所にも立ち入り、ピケを張った。長崎県議や諫早市議も加勢した。

 その際、応援に来た長崎県の職員が看板を撤去した。事前に長崎県から「看板を撤去する」との連絡が農水省にあり、同省は「ダメですよ」とは言ったが、長崎県職員は無視して撤去した。以上の経緯は、2013年11月7日に東京で開かれた漁民・弁護団と農水省との意見交換会で明らかになった。

 後日、農水省は長崎県に抗議するファックスを送ったというが、漁民側弁護団は「なれあいだ」と批判している。

 また、地元の農民によれば、一応農水省の職員が地元の農家に開門のためにどのような準備工事をやるか説明に来たというが、不在の家には名刺だけ置いて帰ってしまい、何度も訪ねて説明し、一軒一軒説得することはなかったという。

 そして2013年11月12日、農民らが「国は開門してはならない」という決定を求めた仮処分で、長崎地裁は農民らの主張を認めてしまった。

 このような決定になったのは、農水省が開門準備の工事をやらなかったからだ。このまま開門すれば被害が出る。だから開門は認められない、と仮処分の決定の理由の中に明記されている。

 また、長崎地裁が開門を差し止めたもう一つの理由は、 ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。