メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

メリーポピンズを探すのは難しい

薄雲鈴代 ライター

 京都の古い町では、ご近所さんの町内会というネットワークが根強く、「ちょっと留守をするので子どもを預かって」という無理が利いた。「遠くの親戚より近くの他人」を日々、実感する町である。

 しかしこの場合の「他人」は、見知った顔の家族同然の他人である。この古き良き(ときに鬱陶しいほどの干渉が入る)人間関係も、マンションやテナントビルが町に蔓延り、途絶えがちになっている。隣近所の関係が希薄になった昨今、むかしのお母さんのように「ちょっと子どもを預ける」ことはできない。代金を払ってしかるべき機関に頼まなければならない。ベビーシッターという職業も必要になってくる。

 もとよりベビーシッターという職業は、イギリスの家庭で子どもたちを教育する乳母(ナニー)にみるとおり、歴史のある厳格なものである。映画『メリーポピンズ』に描かれているのがまさにそれで、髪をひっつめた厳めしい顔つきの女性が象徴的に描かれている。昨今アメリカの海外ドラマなどで見る、高校生がアルバイトで子守りをするのをベビーシッターだと安易に捉える向きがあるが、それはあまりに安直で危険だ。

 『メリーポピンズ』の冒頭では、いかに子どもを託せるベビーシッターを見つけることが大変か、滔々と謳われる。ベビーシッターを決めるには、頼む側に洞察力と思慮分別、そして人を見る目がなくてはいけないと明言している。それで家長のバンクス氏みずから、乳母の面接に当たるのである。ベビーシッターの文化が根付いていても、子どもを託せる適任者を探すのは難題であることがうかがえる。

 ところで私は、保育士を養成する専門学校で国語の教科を担当している。子どもたちが親もとを離れて初めて出会う大人が保育士であり、その重要性を痛感しているので、授業の中で必ず志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』を取り上げる。清兵衛を取り巻く大人たちの残酷さ、罪深さを俎上に載せ、子どもの芽を摘むことの重大性を問うべきところが、昨今の学生の反応は「清兵衛がキモイ(気色が悪い)」という意外

・・・ログインして読む
(残り:約694文字/本文:約1539文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

薄雲鈴代

薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター

京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

薄雲鈴代の記事

もっと見る