2014年04月18日
世の中に悲劇は数多くあるが、冤罪ほど酷く、やり切れないものはないかも知れない。「自分がやった事」に対して責任が生じるのは致し方ないが、「やっていない事」に「ペナルティ(罰)」が科せられるとしたら……。罰の対象が自分の命だとしたらと考えると、こんなに恐ろしい事はないだろう。
そのような過酷な状況下に置かれてきたのが袴田巌さんである。余りにも長きに渡って拘束された死刑確定囚として、ギネス認定されたほどの長期間の苦しみに耐えてきた。
2010年4月20日に衆院参院で設立総会を開き、「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足されたのだが、その前の段階だから2009年頃だったのかも知れない。
衆議院議員会館で鈴木宗男新党大地代表(当時)の呼び掛けで、マスコミ関係者が集められ懇談会のようなものが行われた。僕もその時に声をかけられ、出席した。記者発表のような大々的なものではなく、集められたマスコミも、さほど多くなかった。超党派で「袴田巌死刑囚救援議員連盟」を設立する、という発表の場だったように記憶している。
鈴木宗男氏の、熱い訴えも印象的だったが、最も脳裏に焼き付いているのが実姉ひで子さんのスピーチだった。現在は、回復傾向にあると言われている袴田さんの拘禁症に関してだが、当時は酷かったようで、ひで子さんの事すら認知できない事もあると言われていた。涙ながらの訴えだったと記憶している。48年間も「やってもいない事」に対して死をもって償えという恐怖は想像もつかない。例えば「宣告」(加賀乙彦著)を読む事によって、そのような状況が想像出来るが、読めば読むほど
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