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[3]作られた「結弦像」を超えて

青嶋ひろの フリーライター

 高橋大輔のカリスマ性とは違う、浅田真央の持つ大衆的なポピュラリティ。それが、より多くの日本人の耳目に触れ、スケート界を根底から活性化させるのだ、と。もしかしたらその役割を、羽生結弦は担えるのではないか? ソチ五輪後の喧騒を見て、人々はそう考えている。

 「日本人は世界で戦える、強い人間が好きだからね。史上初の男子金メダリスト。しかもあの若さ。羽生君なら、スケート界を代表するアイドルになる資格、十分だ」

 「なんといっても、真央ちゃんがついに手にできなかったオリンピックの金メダルを、もう獲ってしまったんだからね」

 もしほんとうに、そんな重責を担う立場に立たされたとしたら――羽生結弦、大丈夫だろうか。

 人々の期待する、ピョンチャン五輪まで勝ち続ける強いチャンピオンになること。それはもう、彼自身の鍛練と心がまえにかかっていることだ。私たちが心配しても仕方がないし、ある程度心配はないだろう。

 それならば私たちは、競技とは関係のない外圧や醜聞から彼を守ることに心を砕かなければ、などとも考える。彼が浅田真央に代わってフィギュアスケートを引っ張る存在になるのだとしたら、業界はこぞって、全力で彼を守らなければならない、と。

朝日新聞のインタビューに答える羽生結弦朝日新聞のインタビューに答える羽生結弦=2014年4月10日
 それとは別に心配なのは、スーパースターに祀り上げられることによって彼自身が浮ついたり、慢心したりしないか、ということ。

 これは浅田真央がどんなに注目を集めても、どんなに人気を誇っても、彼女自身、少しも変わらなかった部分だ。あれほどの存在になりながら、決しておごらず、一度も高飛車にふるまったことが無い。もちろん、浅田の特異なキャラクターをもってしてのことだ。

 羽生結弦は浅田真央に比べれば、かなり「普通の」男の子だ。今は見せてはいないが、いくぶん調子に乗りやすいところもある。そんなところをちょっと心配して、先日わずか10分の単独取材時間をもらえて話をしてみたのだが、驚くほど以前と何も変わっていない様子に、胸をなでおろした。

 「彼は金メダリストになっても、何も変わりませんねえ」と、他の記者も感心していたが、今の羽生の様子を見ていると、慢心や過信でつぶれていく姿は、ちょっと想像しにくい。

 しかし、これから――。

 今はまだ、オリンピックが終わってすぐに世界選手権、間髪を入れずにアイスショー行脚と、目の前のやるべきことに必死な日々だ。思いもよらなかった規模のコマーシャリズムが彼を襲うのは、この後だろう。ある程度の成績を出し、既に人気選手になっていたソチ五輪前。そのころとは比較にならないほどのごちゃごちゃとした出来事が、彼には起こるだろう。

 今までの日本男子は、どんなに人気者になっても蚊帳の外にいられたはずの世界、浅田真央級のスーパースターだけが体験する世界に、彼は放りこまれてしまう。

 例えばスポーツとして決してあってはならないことだが、羽生人気を維持するために、芳しくない成績でも試合に勝ててしまうなど、不本意な事態がある種の試合では起こるかもしれない。ピョンチャンまではひたすら努力と精進の日々を送るつもりの10代のアスリートにはどうしようもない状況に置かれて、彼は耐えられるだろうか?

 そんな時でも何も変わらず、スケートへの思いだけを糧に邁進できたのが、浅田真央のすごさだ。自分が滑ることで動くお金の額も、社会的な影響も、そんなことは何も考えずに。多少考えたとしても、何も惑わされずに、純粋な気持ちだけで滑り続けられるのは浅田真央くらいだ。彼女の人間的な不思議さがあったから、浅田人気、スケート人気は絶妙なところで成立していたともいえる。

 それでも子供の頃の彼女と比べれば、浅田も今のポジションに居続けるうちに、笑顔が少なくなったように思う。ジャンプの不振だったり、練習環境の悩みだったり、競技に関わる苦しみだけだったら起きなかった変化が、確かに浅田にも起きていた。

一人歩きした「結弦像」

 浅田真央でさえ、自分を変えざるを得なかった場所に立たされて――果たして羽生結弦は、大丈夫だろうか?

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