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”先生”と呼ばれる職業の責任

薄雲鈴代 ライター

 仕事を休んで、子どもの入学式に出席したということは、「入学式がとても大事な日」だとわかっていた証拠である。この新年度に騒がれている、入学式を欠席した担任教師には皮肉なことだが……。

 数ある学校行事の中でも、入学式は最初にして最後の、つまり在校中に一度しかないセレモニーである。しかも公立の小、中学校の義務教育とは違い、高校は受験を経てその学校の門をくぐるので、子どもにとっても家族にとっても誇らしいハレの日である。

 身体に馴染んでいない真新しい制服を着て、緊張の面持ちで学校へやって来る生徒と、どのような校風の中で、どんな先生について子どもたちが学ぶのかと心を弾ませている保護者たち。

 この日、家に帰ってまず話題になるのが、担任教師の人となりである。なにしろ、初めて接する学校側の人が、担任教諭だからである。(壇上の校長先生はあまりに遠い存在であるし、教科担当はまだ発表になっていないし)、この日ばかりは、担任の先生が学校を象徴するすべてとなる。

 学校に勤めていて、つくづく思うのが「担任の先生は大変だ」ということである。私の知る担任をもつ教師たちは、まずプライベートがまったくない。自分の教科を遂行するだけでも大変な上に、クラス40人の学校での生活面を指導し、さらには学校業務が終わってからも生徒の家庭状況まで把握しなければならない。

 自分の携帯電話は、クラス全員と連絡がつくようになっており、 ・・・ログインして読む
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筆者

薄雲鈴代

薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター

京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。

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