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[1]”STAP細胞”報道とジャーナリズムのいま 最初から感じた違和感の正体 

尾関章、亀松太郎、堀潤

 STAP細胞をめぐる一連の騒ぎは混迷の色を深め、その動きをフォローするマスメディアの報道のあり方やインターネット上の情報発信でも様々な問題点が浮かび上がりました。また、2011年に起きた未曽有の大災害、東日本大震災と福島第一原発事故でも、テレビや新聞などマスメディアの報道と、ネットやSNSなどを通じて広がる情報のあり方など、メディアやジャーナリズムをめぐって様々な課題や論点があぶり出されました。

 各メディアやユーザーらがその後、様々な試行錯誤を続けるなか、WEBRONZAは4月、岩波書店の協力のもと、東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店で、現在のジャーナリズムの課題などを考えるトークイベントを行いました。新聞社、テレビ局、ネットメディアの現場で「3.11」に遭遇した、立場も年代も違う3者が大震災を踏まえ、日本のジャーナリズムや報道の歴史、構造的な問題、ネットメディアの可能性や課題について話し合い、これからのジャーナリズムの姿を展望しました。質疑応答を含め、その詳細を連載でご紹介します。

 話し合ったのは、科学ジャーナリストの尾関章、弁護士ドットコムトピックス編集長の亀松太郎、NPO法人「8bitNews」主宰の堀潤の3氏です。プロフィールは以下をご参照ください。

STAP細胞をめぐる報道について話し合う尾関章氏、亀松太郎氏、堀潤氏(左から)=東京・池袋のジュンク堂池袋本店STAP細胞をめぐる報道について話し合う尾関章氏、亀松太郎氏、堀潤氏(左から)=東京・池袋のジュンク堂池袋本店

尾関章(おぜき・あきら)≫
科学ジャーナリスト。1951年生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了(専門は物理)。77年、朝日新聞社に入り、83年から科学記者。科学医療部長、論説副主幹などを務め、2013年に退社。宇宙論、素粒子物理、生命倫理などを主に取材した。WEBRONZA筆者。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、『量子の新時代』(共著、朝日新書)。

亀松太郎(かめまつ・たろう)≫
1970年静岡県生まれ。東京大学法学部卒。朝日新聞記者として3年勤務した後、ネットベンチャーと法律事務所を経て、2006年からJ-CASTニュースの記者・編集者を経験。10年ドワンゴに転職、ニコニコニュース編集長として、ニコニコ動画の政治・報道番組の企画・制作とニュースサイト運営に携わる。13年1月独立。弁護士ドットコムトピックス編集長のほか、BLOGOSなどネットメディアを中心に活動している。

堀潤(ほり・じゅん)≫
ジャーナリスト/NPO法人「8bitNews」主宰。 1977年7月9日生まれ。兵庫県出身。 立教大学文学部卒業後、2001年にアナウンサーとしてNHKに入局。 「ニュースウォッチ9」、「Bizスポ」などの報道番組を担当。 2012年6月、市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げる。 2013年4月1日付でNHKを退局。近著に「変身~Metamorphosis メルトダウン後の世界」。

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 尾関 本日お話しするのは、私を含めみんな元NHK、元朝日新聞ということで、現在はいわゆる大手メディアを離れております。亀松太郎さんと堀潤さんは大変若くして外へ飛び出して新しいチャレンジをしていらっしゃいます。

尾関章氏尾関章氏

 今日は1つのテーマとして「3.11後」ということを掲げました。私自身は科学記者を30年やってきましたが、3.11というのは科学記者にとっては頭をごつんとたたかれたような、そういう強い衝撃がありました。また、科学的な報道という観点からもいろいろ反省をするところが多くありました。3.11後のジャーナリズムというのを考えるときに、科学ジャーナリズムのことを含めて考えなければいけないという思いから、こうしたテーマにいたしました。

 ところがこの数カ月、特にこの数週間は、世の中がSTAP細胞の話で、持ちきりなんですね。そこで事前の打ち合わせなどで、やはりこれはSTAP細胞のことをまず話さないわけにいかないということになりました。そのSTAP細胞とメディアということを考えると、それはそのまま、「3.11」のことや、原発事故や原子力報道などにつらなっていくことになるはずです。

 ということで、今夜はまずはSTAP細胞の話から入っていこうと思います。今回そのSTAP細胞の報道でこの中で最も活躍しているのは、亀松さんなんですね。皆さん、テレビの会見などをご覧になっていると思いますが、その中で亀松さんはなかなか鋭い質問をしていらっしゃいます。まずは、理研による一連の記者会見や、先日の小保方さんの記者会見を現場で取材した印象を語っていただけますか。

 亀松 はい。あらためて亀松です。僕は今フリーランスで仕事をしていますが、主に「弁護士ドットコム」というネットのメディアで仕事をしております。このメディアは、弁護士というか、法律というか、いわゆる紛争ということに着眼しています。従って、今回のSTAP細胞の騒動については、そういう観点からフォローしています。理研の調査委員会の中間報告の記者会見から参加するようになりまして、最終報告の記者会見、それからこの前の大阪での小保方さんの記者会見に行ってまいりました。明日は理研の副センター長の笹井さん、小保方さんの上司の人が記者会見をやりますので、それにも参加する予定です。

亀松太郎氏亀松太郎氏

 主にどういう関心から取材するかと言いますと、科学的なところは科学に強い記者やメディアの人たちがいるので、その人たちに任せて、できるだけ一般的な関心で見ていこうとしています。あとは今、実際に弁護士も出てきていますから、その手続きとして正しさとか、調査として正しいのかという観点で見ています。

 特に一番最近の小保方さんの記者会見について言いますと、彼女は当日の朝の段階でも彼女が会見に来るかどうか分からないということが言われていました。我々は東京に仕事場があるので、朝一番の新幹線で大阪に行き、9時ぐらいから会場に並んで、午後1時から始まる予定の記者会見を待ったわけです。

 報道されている通り、彼女は入院していて非常に体調もよろしくないし、心理状態もよくないということでした。もしかしたら来ないんじゃないかということが言われていて、記者の間でもそこをすごく心配していたんですね。実際、会見が始まる直前の弁護士の説明でも、すぐ隣の部屋にお医者さんが来ていて待機していますと言っていました。もしかしたら途中でドクターストップがかかるかもしれないので、それもご了承くださいという説明がありました。

 皆さんもテレビでご覧になっていると思いますけど、最初、彼女が入ってきてあいさつをするんですが、そのときは言葉も弱々しくて、時々涙ぐんだり、詰まったりしながら本当によろよろした状態だったんです。でも、実際は2時間半という記者会見としてもかなり長い会見を無事乗り切ったというか走り切った。

 ずっと見ていた印象として最も僕の気持ちに残ったのは「強い女性だな」という思いですね。もちろん表面的には非常にかわいらしい。当日の体調もよくなかったんでしょうけど、ああいう本当にピンチで、本当に百戦錬磨の記者たちに対しても堂々と答えていました。もちろん、内容自体は具体的な根拠がないとか、いろいろな特に科学的な問題はあると思うんですが、そのときの応答としては、非常に彼女は的確に質問に答えていました。だからある意味コミュニケーション能力の高い人だなと思いました。

 もしかすると、これは理系の世界では珍しいのかもしれないとも思いました。それと、非常に芯が強い人だという印象をもちました。例えて言うと僕が彼女の印象から連想したのは、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ、それも特にビビアン・リーのスカーレット・オハラですね。アトランタの町が焼けて焦土となったところで、丘の上に立ってあの有名な曲が流れるという、彼女はああいう今シーンに立っているんじゃないかぐらいに僕は感想として思いました。

 尾関 今の亀松さんのお話からも分かると思いますが、私がとても驚くのは、いわば基礎科学中の基礎科学の出来事についての会見に、これほどいろいろな記者たちが来たというのは僕の経験の中では初めてだということですね。私は30年間の科学記者生活を送りましたが、こんなことはありませんでした。例えば、原子力の事故、あるいはHIVの薬害問題など、そういうときは社会的関心が科学的な事象に対して向けられてきましたが、今回のような基礎科学となると例がないでしょう。

 このこと自体が、ある意味で科学が社会に揉まれる時代を象徴しているようにも思わざるをえませんね。しかも今の亀松さんのお話にはスカーレット・オハラまで出てきたけれども、科学者を人間としてとらえているという感じですよね。その辺りが、私たち科学記者がずっと論文ベースでいろいろ取材してきたのとはだいぶ違うなという感じがします。

 会見のテレビ放送もずいぶんと関心を集めたようですが、テレビの影響というのは、やはりかなり大きいと思います。朝の番組、ワイドショー的な番組などでもかなり長時間やっていました。NHK出身の堀さんとしては、今回のその報道を見ていてどうお感じになっていますか。

  小保方さんが最初にSTAP細胞そのものについて、『ネイチャー』で認められましたと発表されたときの取り上げられ方として、最もどういうシーンがテレビ的に切り取られたかというと、小保方さんが説明をしている場面で、「将来的には肌の若返りもあります」とか、「役に立っていきたいです」というところが何度も繰り返されたわけです。

堀潤氏堀潤氏

 今回はその報道後の取り上げ方も、最終的にテレビで流れてくるシーンというのは、その延長線上で、割烹着についてどう思うのかという受け答えだったりして、本質の部分とは違うところでした。それはなぜかというと、テレビを作る側の話から言うと、見ている人がこの辺のレベルのものじゃないとついてこられないだろうという、そういう勝手な判断があります。

 その本筋の、例えば科学記者が、もっと難しいいろいろな専門的な話をしたいと考え、そうした企画を提案をしたりはします。しかし、それがニュースで編集されていく過程になると、「いや、これは1分では説明できないよ」とか、「これは5分じゃ無理だ」とか、そういう作業に入っていく。最終的には非常に誰もが食らい付きやすいもの、ニュースの入り口として入ってくださいねというものしか提案としては通らないなんてことになっているんですね。非常にフラストレーションがたまる構図があるわけです。

 本当は新しい事実への次の扉を開いていくような話を知りたいにもかかわらず、そうしたものばかりが出てくるというのが今のテレビ報道ではないでしょうか。そうなると、結構「もうちょっといいわ」、「インターネットで調べればいいし」ということになる。それで、このイベントのように専門家の記者の方が来るイベントに行って自分で知るしかないと思う人も出てきますよね。そういうフラストレーションをどう改善していくのかということも、これからのメディアの課題ではあるでしょう。でも最近は、マスメディアとインターネットと協業が進むことで、その辺がだいぶ改善されてくるのではないかなと思います。

 今日のこういう機会にぜひ議論したいと思っていたのですが、あの会見は、文系会見というか、しゃべる方も聞く方も、基本的にニュースの焦点の当て方がどうしても文系の範囲内で終わってしまうようなところが多いんじゃないかなと感じていました。僕は文系なのですが、本当は文系の我々が見ていても、本当はもっと複雑な科学的な図式を用いたり、実験の図をいろいろ用いたりしながら説明してほしいなという思いがありました。でも、結局は、いざ核心の部分になると弁護士さんに話を振って、今後のおそらく訴訟や理研との交渉も含めて、本当に細かい情報というのは出せませんと、そんな流れになっていました。

 昨日なども小保方さんの方で、そのSTAP細胞の存在があるのか、ないのかということについて、「あります」という反論がなされるのですが、一番の核心の部分については特許の関係があったりとか、今はまだお話ができませんということになって、その部分というのが非常にもやもやとしているのが今の状況です。この後まさに論理立てて科学的根拠に基づいた報道がどのようになされていくのかということが問われる。けっこう一般からのニーズの高まりも非常に大きいでしょう。特にネット上では、そういう要求というのは非常に高いので、ここからが腕の見せどころだと思うんですね。新聞社やテレビ局などがそこにどう対応していくのかというのは、何か非常に気になります。

 尾関 今の堀さんのお話にちょっと私は同じように感じたことがあるんですね。お肌がきれいになりますよというところに関心がいくということなんだけど、今回、小保方会見を私はテレビやネット中継で見たのですが、小保方さんがかなり頻繁に言っていたのが「世の中の役に立ちたい」「人の役に立ちたい、だから自分は研究を続けたい」ということだったんですね。それは私がずっと科学記者で科学者らの記者会見に出ていたときとちょっと違っていて、違和感がありました。

 科学者って、あまりそういう言葉を言いたがらないんですね。むしろ、「自分は生命現象の仕組みをとらえたいんだ」、「自然界の謎を追究したいんだ」という言い方をするのが普通でした。どっちかというと、純粋に科学的な探究心に重きを置いていて、役に立つという話は二の次、三の次でした。メディアの側が「いったいそれであなたの研究は何に役に立つんですか」とたずねて初めて、人の役に立ちたいといった言葉が返ってくるものでした。

 ところが、小保方さんは最初からそれを自分の方から言っている。ここら辺に僕は今日の科学の状況が象徴的に出ていて、やっぱり科学者というのは社会にある種アピールしなきゃいけないし、研究費を取らなきゃいけないという背景があるように感じる。そういうある種の強迫観念というか、義務感のようなものがあって、そういうのが彼女をして、ああいう言葉をぱっと言わせているのかなという感じが僕はしました。

 それともう1点だけ言わせていただくと、今回の第一報、1月30日、新聞各紙みんなほぼ1面トップ、東京新聞だけが小さく扱っていたんですけれども、あの新聞を僕が見たときに感じた懐疑的な思いです。僕は当初から本件について非常に懐疑的だったんです。

 それはなぜかというと「刺激だけで」という言葉です。「刺激だけで新万能細胞」というのが朝日新聞の見出しでした。この「刺激だけで」という5文字にすごく違和感を感じたんですね。さっき堀さんが「文系的にとどまっている」と言われたけれど、実は僕は文系的な部分ってとっても大事だと思っているんですね。

 本当に刺激だけでそんなに万能細胞ができちゃったら、私たちの体の中って、あれは紅茶ぐらいの弱酸性液と言うんですから、酸性雨なんかと同じぐらいですよね。酸性雨なんて、この地球上には工業化社会になる前から降っている。火山噴火のときなどにそういう環境にはあったわけで、「刺激だけで」というのには強い違和感があったのです。

 山中さんのiPSのときは決してそうじゃないですよね、遺伝子を入れたわけです。これは20世紀後半の、DNA構造が発見された1953年以降に初めて成立する現象ですよね。ところがSTAP細胞の方は「刺激だけで」という。しかもそれは紅茶に25分程度浸せばいいというようなものでした。ここに何か、ある種の空疎感を感じたんですね。

 僕はSTAP細胞が本当にないとは言いません。あるかもしれないですけれども、それはたぶんその紅茶に25分だけではないなにか別の要素があるはずなんですね。その要素について、きちんとまだ分かってないから追試をいろいろな人がやっても、たぶんできないのだろうなと僕は思っています。だから、当初の発表のときに、新聞でももっと素朴な疑問、つまり人間の体の中で、そういうことが起きたら大変なことになってしまいますよねという疑問を提起する記事を1本でいいから、出していないのだろうかと残念に思うのです。

 もちろん、あの段階で新聞の1面にいくのは当然だと僕も思います。僕がデスクでもそういう判断をします。ただ、その一方で、別の角度からの素朴な疑義も提起していればよかったという思いはありますね。「本当にそんなことがあっていいのか」「そんなことがあったら生命の秩序っておかしくなってしまうのではないか」というような、どちらかというと文系目線の疑問はあった方がいいんじゃないのと思うのですね。

  まったくその通りですね。僕もあの日はいろいろなニュース番組で伝えたのですが、あのときにiPS細胞の研究所の方にいろいろ解説をしてもらったんですけれど、その打ち合わせの段階では、いや、ちょっとまだ何とも言えないんですけどなんていう話が出ているんです。ところが、その専門家の立場から取材している方々や当事者の方々も、これはちょっとはてなマークの部分もあるよなと思いながらも、その報道のメーンを占めていくのは、「よくやった、リケジョ」という雰囲気の記事なんです。そこに対して懐疑的なものを投げかけるようなアプローチというのが、なかなかできない。これは大手メディアでは、似たりよったりの情報しか出せなかった原発事故報道にも似ているところがあります。

 一方、インターネット上でいろいろな人たちがデータを基に論文の中身を検証したら、ここはコピーが、コピペが見つかったとか、画像の差し替えがあるとかといったことを探りあてる。つまりメディアの内側じゃないところから火が付いていって、それによってメディアが一斉に疑問を報じる姿勢に転じるということになっていますね。

 実を言うと、そういう疑問は、もともとには空気としてあったんだと言うけど、それがそういう空気に火が付くまではなかなか報じられないというところに、結構、今のメディア状況の問題点が潜んでいるのではないかと思います。その辺りをこれからどう乗り越えていくのか。その正体は何なのかというのも、今日ぜひ皆さんとお話しできたらいいんじゃないかなと思っています。…(続く)