2014年05月29日
「今シーズン、もう一度がんばれるのかな? そう考えたら、『それはできないな』と思いました」
浅田真央の、一年間の競技休養を発表する記者会見(ではなく、本来はアイスショー『ザ・アイス』の開催発表会見だったのだが)にて、まず耳に突き刺さったのは、この言葉だった。
「『真央ちゃん』なんて人は、どこにもいません。あの人は、サムライだ」
近いところで取材している記者たちはそう言うが、ほんとうにこの人は、気骨の人だ。
泣き言は、まず言わない。言い訳も、しない。自身で立てた目標だけを唯一の拠り所として、ひたすら邁進する、アスリート魂の塊のような人だ。
たまたま女性で、たまたま愛らしい容姿を持っていて、演技スタイルがふんわり可憐なものだから、23歳になっても「真央ちゃん」などと呼ばれているだけの人だ。
その浅田真央が、「できないな」と言った。「身体も心も疲れている」と。その言葉は、武骨な彼女を知っているからこそ、あまりにも重く胸に響く。そこまで彼女は、疲れていたのか、と。
引退ではなく、競技続行でもなく、「一シーズン、すべての試合をお休みにするというかたち」。それは特段、驚くことでもない、自然ななりゆきだと人々は受け止めたかもしれない。
確かに2度の五輪シーズンを経て、次の五輪まで、また4年。ここで一年休息をとるというかたちは、ベテランの域に入ったアスリートにとっては、自然な選択だろう。高橋大輔が彼女と全く同じ道を選んだときにも、特に驚きはしなかった。
しかし、浅田真央。「スケーターとしての生活を始めてから、試合をしない、ということをしたことがない」と彼女自身が言うように、私たちもここ10年以上、浅田真央が試合のリンクにいないシーズンを迎えたことはない。
ケガや、病気や、学業専念などで氷を離れる選手は珍しくないなか、スーパースターの浅田真央は、当たり前のようにいつもそこにいてくれた。その彼女が一年間(少なくとも一年間)不在であるという状況を、予想はできても想像ができなかったのだ。
しかし、浅田真央がいるという「日常」。それは、彼女のふつうではない気力を振り絞って送る鍛錬の日々が見せてくれる「非日常」だったことを、改めて思い知らされてしまった。
そしてこの日、もうひとつ重かった言葉。
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