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「できないな」と、浅田真央は言った(上)――「サムライ」の、「鉄人」の、凄さ 

青嶋ひろの フリーライター

 「今シーズン、もう一度がんばれるのかな? そう考えたら、『それはできないな』と思いました」

 浅田真央の、一年間の競技休養を発表する記者会見(ではなく、本来はアイスショー『ザ・アイス』の開催発表会見だったのだが)にて、まず耳に突き刺さったのは、この言葉だった。

 「『真央ちゃん』なんて人は、どこにもいません。あの人は、サムライだ」

 近いところで取材している記者たちはそう言うが、ほんとうにこの人は、気骨の人だ。

 泣き言は、まず言わない。言い訳も、しない。自身で立てた目標だけを唯一の拠り所として、ひたすら邁進する、アスリート魂の塊のような人だ。

会見場を笑顔で引きあげる浅田真央2014519拡大休養を発表した記者会見場を引きあげる浅田真央=2014年5月19日
 よくそのファニーなキャラクターを長島茂雄になぞらえられることがあるが、魂の部分はたぶん、衣笠祥雄とか鈴木啓示とか、そんな人々に近いのではないかと思う。もし男に生まれていたならば、きっとフィギュアスケートなどやらず、もっと泥臭い競技でものすごく男らしい選手になっていたことだろう。

 たまたま女性で、たまたま愛らしい容姿を持っていて、演技スタイルがふんわり可憐なものだから、23歳になっても「真央ちゃん」などと呼ばれているだけの人だ。

 その浅田真央が、「できないな」と言った。「身体も心も疲れている」と。その言葉は、武骨な彼女を知っているからこそ、あまりにも重く胸に響く。そこまで彼女は、疲れていたのか、と。

 引退ではなく、競技続行でもなく、「一シーズン、すべての試合をお休みにするというかたち」。それは特段、驚くことでもない、自然ななりゆきだと人々は受け止めたかもしれない。

 確かに2度の五輪シーズンを経て、次の五輪まで、また4年。ここで一年休息をとるというかたちは、ベテランの域に入ったアスリートにとっては、自然な選択だろう。高橋大輔が彼女と全く同じ道を選んだときにも、特に驚きはしなかった。

 しかし、浅田真央。「スケーターとしての生活を始めてから、試合をしない、ということをしたことがない」と彼女自身が言うように、私たちもここ10年以上、浅田真央が試合のリンクにいないシーズンを迎えたことはない。

 ケガや、病気や、学業専念などで氷を離れる選手は珍しくないなか、スーパースターの浅田真央は、当たり前のようにいつもそこにいてくれた。その彼女が一年間(少なくとも一年間)不在であるという状況を、予想はできても想像ができなかったのだ。

バンクーバー五輪の写真を見る浅田真央選手=13日午後、東京都中央区の日本橋高島屋拡大展覧会で、自身の写真を見る浅田真央=2014年4月13日、東京都中央区の日本橋高島屋
 また、彼女はいつも、あまりにもナチュラルに選手生活を送っているように見えるので、数か月も休めばまたすぐに氷に戻りたがるのではないか、などという気もしていた。引退でないのならば、長い休息は取らず秋からまた何食わぬ顔でグランプリシリーズに登場してくれるのではないか、と。それくらい、彼女というサムライに「休息」は似合わないような気がしていたのだ。

 しかし、浅田真央がいるという「日常」。それは、彼女のふつうではない気力を振り絞って送る鍛錬の日々が見せてくれる「非日常」だったことを、改めて思い知らされてしまった。

 そしてこの日、もうひとつ重かった言葉。

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筆者

青嶋ひろの

青嶋ひろの(あおしま・ひろの) フリーライター

静岡県浜松市生まれ。2002年よりフィギュアスケートを取材。日本のトップ選手へのインタビュー集『フィギュアスケート日本女子 ファンブック』『フィギュアスケート日本男子 ファンブック Cutting Edge』を毎年刊行。著書に、『最強男子。 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』『羽生結弦物語』(ともに角川つばさ文庫)、『フィギュアスケート男子3 最強日本、若き獅子たちの台頭 宇野昌磨・山本草太・田中刑事・日野龍樹・本田太一」(カドカワ・ミニッツブック、電子書店で配信)など。最新刊は、『百獣繚乱―フィギュアスケート日本男子―ソチからピョンチャンへ』(2015年12月16日発売、KADOKAWA)。

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