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49年ぶりの後祭―150年ぶりに大船鉾が巡行

薄雲鈴代 ライター

 京都はいま、祇園祭の真っ只中である。

 祇園祭は、7月1日より1カ月にわたって行われる八坂神社の大祭で、氏子の町内では、長刀鉾、函谷鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾を皮切りに、23の山鉾が次々建てられている最中である。

 昨年までは、32基の山鉾が勢揃いして16日の宵山を迎え、17日に巡行をしていたのだが、今年は、古式の姿に戻して「前祭(さきまつり)」の山鉾23基が17日に巡行をした後、「後祭(あとまつり)」の山鉾10基が随時建つ順序になる。

 これが祇園祭本来の姿だと保存会の方々に聞いた。

 本来は八坂神社の御祭神・素戔鳴尊(スサノオノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコカミ)の神霊を、京の町にお迎えするのが主眼である。

 神さまを自分たちの町内に迎えるために、町衆は祇園囃子をコンチキチンと奏で、巨大な山鉾を建て、町内の宝物で飾りたてる。そして17日の朝、まず山鉾が巡行して、邪気を払って道を清める。そしてその日の夕刻、スサノオ御一家が3基の神輿で渡御される。つまり、山鉾は「露払い」のような役割を担っているのだ。

 神さまたちは17日から24日まで四条寺町の御旅所に鎮座されるが、24日の夕刻にはまた八坂神社へ向けてお還りになる。お迎えする時には盛大に山鉾が先導したのに、帰りは放ったらかし。それがここ49年間の祇園祭の矛盾であった。

 神さまをお迎えする山鉾があれば、お見送りのための山鉾もある。それが「前祭」「後祭」として古来きっちりと行われていた。

 しかし高度経済成長の波を受けて、昭和41年(1966年)に一括されたのである。なにしろ祇園祭期間中、氏子町の企業は休業せざるを得ない。山鉾が町に聳え立つので交通規制も凄まじく、時代の速度にそぐわないと神事は簡略化されたのである。以来、祇園祭はその本来の意味よりも、イベントとして捉えられ、17日の山鉾巡行を伝えるニュースでは「祇園祭のクライマックス」とアナウンスされていたのをよく耳にした。そのたびに、大切なのは巡行の後なのにと、やるせなく思ったものである。実際、その晩に八坂神社から神輿が渡御するにあたって観光客の姿はなく、ひっそりと御旅所に入られるのを、いつもそっと見ていた。

 そしていよいよ祇園祭が本来のスタイルにかえる今年、どのように事が運ぶのか予測できないと関係者の方々は口を揃えていう。ともかくも例年なら ・・・ログインして読む
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筆者

薄雲鈴代

薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター

京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。

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