大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)
1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
この夏、ロシア沿海地方で行われたシベリア抑留死亡者の遺骨収集活動に同行しました。遺骨収集は、町から離れた山中と遠い田舎の村で行われました。毎日、朝から夕方まで地面を掘り続け、穴の中を見つめ続ける作業でした。60数年の年月を経てやっとのことで掘り出された骨は、土にまみれ、草木の根がからみついていました。決してものを言うことはありませんが、頭蓋骨の目のくぼみを見ていると、吸い込まれるような感覚になりました。彼らがどんな時代に生き、どんな思いで異郷の地で果てたのか、なぜこんな地で死ななければならなかったのか。そんなことを考えずにはいられませんでした。
私が同行した厚生労働省派遣の遺骨収集帰還団は10人。抑留経験者、父親を抑留で亡くした人、ボランティアの大学生らが参加していました。現地のロシア人も作業員として10人ほどパワーショベルを運転したり、穴を掘ったりして協力してくれました。
帰還団が作業をするのは、埋葬地だったという記録や証言があるところです。大体の検討をつけて場所を決め、パワーショベルをつかって幅1メートル、深さ1・5メートルほどの穴を10メートル近く掘り進めます。ロシア人の作業員が穴の中に入り、スコップを手に、骨の破片がないかと注意を払い続けます。骨らしいものがあると、手作業でその周辺を掘り、遺骨があるのかどうかを確かめます。木の根や枝が大腿骨に見えることもあれば、動物の骨が出てきたこともあります。ロシアといえども、気温は30度を超えています。じりじりと待ちながら、目をこらす時間が続きました。
「見つからないと元気が出ないよなあ」と声を上げたのは、抑留経験者の遠藤尚次さん(88)です。22年、毎年ロシアに足を運び、仲間を捜し続けている人です。遠藤さんのことは朝日新聞で書いていますので、興味のある方は読んでみてください。
そうした地道な作業を続け、遺骨が見つからなければ、これまで掘ってきた穴の横に1メートルほどの間隔をあけて、また同じように深さ1・5メートルほどの穴を掘っていくのです。
夕方、深さ1・5メートルほどのところで、大腿骨とみられる骨が1本出てきました。穴に入っていたロシア人が大きな声でストップをかけます。一気に現場の空気が張り詰めました。団員たちも穴に下り、骨をなるべく傷つけないように、拾い残しがないようにと、丁寧に土をかき分けました。
30分もすると、丸みを帯びた頭蓋骨の一部が土の中から見えてきました。
熊手で土を払い、骨を出していきます。栄養を吸い取っているのでしょうか。頭蓋骨には細かな木の根が絡まっていました。頭蓋骨のすぐ近くには、胸の上で腕を組んでいた形で腕の骨も見えてきました。戦後69年たって、やっと見つけてもらった日本人の遺骨です。
ふと目を上げると、黒い蝶が
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