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京都市民はみんな平安神宮の氏子なり―京都の誕生日に時代祭

薄雲鈴代 ライター

 秋になると、町内から平安神宮の御札が配られてくる。京都に暮らしていて不思議に思うことのひとつであった。私は平安神宮のある岡崎からはかなり離れたところに住んでいるので、「氏神さま」でもあるまいに、と思っていたのが大間違い。京都市民はみんな平安神宮の氏子、京都の総鎮守という考えのもと成り立っている。

 その平安神宮は、平安遷都1100年を記念して明治28年に造営された。御祭神は京都をつくった桓武天皇である。時代祭は平安神宮の祭礼で、桓武天皇が平安遷都された延暦13年(794)10月22日、いわゆる京都の誕生日に行われる。今年で120年目(過去10回中止)を迎える。

 明治時代の維新勤王隊から始まり、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原(平安中期以降)、延暦(平安前期)時代と、日本史を遡って桓武天皇のもとへ還ってゆくのが時代祭の行列である。総勢2000人、長さ2キロに及ぶ大行列である。ひと所で、全部の行列が通過するのを見ようものなら約2時間かかる。

 時代祭の何が凄いかといえば、全部が本物であることだ。祭が発案された当初から、識者による時代考証がきっちりとなされ、着物の文様や色彩の染織をはじめ、甲冑、調度品、牛車の縄の飾結びに至るまで、すべて本物志向。動く絵巻物といわれるとおり、その時代の風俗をリアルに見て取ることができる。なにしろ京都には、日本史の中に登場する名家がいまも暮らしており、そこの御用をつとめる職人さんが営々と仕事に励む町である。伝統工芸の専門家が揃う京都とあって、たとえ一日限りの祭であっても、いいかげんなことでは許されない。だから付焼刃的な安っぽい仮装行列とは違うのである。

 当日行列に参加する2000人は、

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