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[7] 何が羽生結弦を滑らせたのか 痛みと苦しみを乗り越えた先に

青嶋ひろの フリーライター

 そして最後は、やはり彼自身に言わなければならない。

 様々な状況も、積もる思いもすべてわかるけれど、それでもあの時のあなたの選択は、アスリートとして危険なことだったよ、と。

 今、そこにある舞台ではなく、これから何年も続く競技人生を。いや、その先のあなたの人生そのものを考えて。自分の身体のことだけでなく、あなたを思い、心配する人々のことを考えて、危険をおかしてはいけなかった。あなたの崇める英雄が、ソチオリンピックというそれ以上ない舞台を身を切られる思いで捨てたように、滑ることをやめる勇気も必要だったのではないか、と。

2013年の世界選手権で優勝を決めて2013年の世界選手権で優勝を決めて
 もちろんこれまでの彼は、ただがむしゃらに自身の健康を顧みずに進んできたわけではない。たとえば、初めての世界選手権でケガをしてしまった後。

 「やっぱり自分は甘かったな……。無理して試合に出て、ケガが悪化しても自分の責任だ、自分が壊れるだけなんだから別にいいんだ、って気持ちがありました。でもすべてが終わって、こうして休んで、足の容体もわかってくると……世界選手権は、やっぱりいろいろな人の助けがあったから終えられたんだな、って思った。『できたからいいじゃん!』じゃなくて、やっぱり皆さんが支えてくれていること、忘れないようにしたいな、と」

 17歳の彼は、ちゃんと自分の甘さを認識していた。さらに、1年後の世界選手権でも。

 「またケガをしてしまって、もう一度……ものすごく反省しなくちゃいけない。また僕の考え方を変えなくちゃいけません。身体のケアや体調管理に対しての考え方――たとえば、『全力でやること』。以前の僕の『全力』は、ただひたすら一生懸命だったんです。身体のことなど何も考えず、ただ駆け抜けてきた。その結果、すごく疲れもたまってしまって、このケガがあった。
もう、ただ全力で跳んで見せるだけではだめ。疲れや身体への影響や、いろいろなことを考えながら滑って行かなくちゃいけない」

 18歳の羽生結弦もまた、大事な試合前のケガを通して、様々なことを学んでいた。

 それでも彼は、まだ甘かったのだろうか。

 「やっぱりケガをしちゃったら、すべておしまいです。それは十分わかったけれど、でもケガを恐れてびびったり、怖がったり、焦ったり、消極的になったりするわけにはいかない! もっともっと、僕は積極的に行きたいんです」

 とは、18歳の時の言葉。

 「これまでの僕は……ジャンプは全部、気合いで跳んでいたんです。痛くても気合いでなんとかしちゃう。多少痛くても、ポン! って跳べてしまうんですよ。だから、『痛いのなんか我慢できるし、きれいに跳べちゃうんだから、いいや』なんて気持ちが、ちょっとあった。それでケガをしやすかったのかもしれません……。ケアをしっかりするんじゃなくて、勢い任せで跳んできちゃった。若さ故に、かもしれないけれど、気分が乗っていれば跳びたくなる。跳ぶのをやめられないんですよ!」

 どんなに学んでも変えられない性、というものも、あるのだろうか。

トロントで=撮影・筆者トロントで=撮影・筆者
 それでも、自分を大切にしない姿勢は、ある種の怠慢だ。痛みを抱えたままの中国杯出場からして、もう無謀だったのではないか。

 「だけど僕は、大丈夫! 身体が壊れたって、4回転跳ぶから! いやいや、ちゃんとケアをして、ケガなんかで消えない選手になります。絶対に僕、消えないです。どんなことになっても、選手を続けますから!」

 そんな彼自身の16歳のときの言葉を、今の羽生結弦にそのまま返したい。

 このままではあなたは、自分の「強さ」に潰されて、消えてしまうよ、と。彼のことが大切だからこそ、言いたい。今、羽生結弦は変わらなければならない、と。

 「でも、彼は変わらないと思います。ゆづのアスリート魂は、凄まじいものがある。彼の性格も、チャンピオンとしてのプライドもあるし、かんたんには変わらない。選手を続けている間は、きっと彼はあのままだと思います。たぶん僕らには彼を変えることはできない。誰が何を言っても、彼は簡単には変わらないと思う」

 とは、彼と親しい同世代の現役選手の言葉だ。

 やはり怖いのは、

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