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羽生結弦の生き方=ユヅルイズムとは?(中)

ジャンプが跳べなかったNHK杯で見せた演じる心

青嶋ひろの フリーライター

 中国杯フリーでの出来事に続き、満身創痍のままNHK杯に参戦したことも「強行出場」と評されてしまった羽生結弦。

 しかし前回とは、少し勝手が違う。思った以上の彼自身の慎重さがわかった現在でも、中国杯は無理をし過ぎだったと筆者は思うが、開催まで時間があったNHK杯はまったく事情が違うのだ。

フィギュアスケートNHK杯NHK杯のフリーの練習で=2014年11月29日
 ドクターの診察をしっかり受けたし、リハビリでも練習でも万全を期した。最後の最後まで、大阪入りするまで、彼と周囲は出場の決断をくださなかったし、もちろん出場を強要するような声もなかった。

 ただ、彼の硬い意志が出場可能な状態まで彼の身体を持っていった――周囲も「これならばいけるだろう」と納得する状態まで。

 泣いて弱音を吐いた時期から短期間。わずか5日で、よくここまで戻したものだと思う。

 実際、いちばんジャンプの調子が良かった大阪での非公式練習(11月26日)では、ブライアン・オーサーコーチも連盟関係者も唖然とするほど、いつもどおりに4回転が決まっていた。

 実は仙台の練習ではまったく成功できずにいた4回転が、ギャラリーが揃った途端に決まるようになり、一番驚いたのは本人だったというが。

 NHK杯、出場決定までの羽生結弦の苦闘はほんとうに彼らしく、「強行出場」などとは程遠い、手放しで称賛したい日々だったのだ。

 「でも期間中でいちばんジャンプが跳べていたのは……実は非公式練習の日だったんですね」

 とは、周囲の人の声だ。「出場していいぞ!」、そのお墨付きをコーチや連盟からもらわなければならない、その日が最も調子が良かったなど、いじらしいくらい彼らしいではないか。

 しかしやはり、NHK杯。

 負傷と、短かすぎる調整期間の影響は、如実に現れてしまった。

 さらに今回は、中国杯での衝突の恐怖を思い出してしまうという、常にはない辛さも感じながらの一戦だった。仙台でひとりで滑っている間は問題なかったのに、公式練習も6分練習も、6人の選手で滑る状況が、やはり怖かったのだ。

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