始まった震災遺族と防災研究者の新たな取り組み
2015年01月17日
1月16日、神戸市灘区の「摩耶小学校」では、阪神・淡路大震災発生時の校長だった田村元治さんが全校児童395人を前に、スライドを使いながら、当時の様子を子供たちに分かりやすく伝えていた。
阪神・淡路大震災の発生から20年。神戸や阪神、淡路の小・中学校では例年にも増して、様々な震災“祈念”集会や特別授業が開かれている。日ごろから震災・防災教育に力を入れている同区の「西灘小学校」でも17日、震災遺族を招いての公開授業や、集会が開かれる。
「今後、必ず起こりうる災害で、一人でも多くの子供たちの命を救いたい」との思いから、あるいは「我が子を失くした親の悲しみを知ってもらうことで、命の重さを分かって欲しい」と願い、身を削りながら自らの体験を伝え続ける震災遺族――。
しかし、阪神・淡路の被災地では、彼ら遺族を含めた「語り部」の高齢化が進み、兵庫県によると「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には、昨年4月時点で40人以上の語り部ボランティアの登録があるものの、その半数以上を70代、80代が占め、50歳以下の登録はないという。
さらに神戸市内では、震災を経験していない住民の割合が4割を超え、小・中学校に招かれ、当時の体験を話しても「伝わっていないような気がする……」と漏らす語り部もいれば、我が子を亡くした辛い思いを話しても、「教訓は?」と尋ねられ、戸惑う遺族もいる。
ある震災遺族はこう語る。
「私たちが抱えている、そして死ぬまで抱え続けるであろう、後悔や悲しみにこそ、『教訓』に繋がるヒントがあると
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