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阪神・淡路大震災から20年――語り継ぐ人々

始まった震災遺族と防災研究者の新たな取り組み

西岡研介 フリーランスライター

阪急電鉄今津線のわきに建っていた民家が崩壊、がれきが線路を埋めた=1995年1月18日、兵庫県西宮市北口町阪急電鉄今津線のわきに建っていた民家が崩壊、がれきが線路を埋めた=1995年1月18日、兵庫県西宮市北口町
 「地震があった日、この学校にはケガ人や病気の人たちも含め、体育館だけでも600人の人たちが避難してきました。それを9人の先生でお世話したんです。想像できますか? けれども学校では、こんな大変な時こそ精一杯、住民の人たちに尽くしていこう、と。当時の子供たちも本当によくお手伝いしてくれました……」

  1月16日、神戸市灘区の「摩耶小学校」では、阪神・淡路大震災発生時の校長だった田村元治さんが全校児童395人を前に、スライドを使いながら、当時の様子を子供たちに分かりやすく伝えていた。

  阪神・淡路大震災の発生から20年。神戸や阪神、淡路の小・中学校では例年にも増して、様々な震災“祈念”集会や特別授業が開かれている。日ごろから震災・防災教育に力を入れている同区の「西灘小学校」でも17日、震災遺族を招いての公開授業や、集会が開かれる。
 「今後、必ず起こりうる災害で、一人でも多くの子供たちの命を救いたい」との思いから、あるいは「我が子を失くした親の悲しみを知ってもらうことで、命の重さを分かって欲しい」と願い、身を削りながら自らの体験を伝え続ける震災遺族――。

 しかし、阪神・淡路の被災地では、彼ら遺族を含めた「語り部」の高齢化が進み、兵庫県によると「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には、昨年4月時点で40人以上の語り部ボランティアの登録があるものの、その半数以上を70代、80代が占め、50歳以下の登録はないという。

 さらに神戸市内では、震災を経験していない住民の割合が4割を超え、小・中学校に招かれ、当時の体験を話しても「伝わっていないような気がする……」と漏らす語り部もいれば、我が子を亡くした辛い思いを話しても、「教訓は?」と尋ねられ、戸惑う遺族もいる。

 ある震災遺族はこう語る。

 「私たちが抱えている、そして死ぬまで抱え続けるであろう、後悔や悲しみにこそ、『教訓』に繋がるヒントがあると

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