小野登志郎(おの・としろう) ノンフィクションライター
1976年、福岡県生まれ。早大中退後、フリーのライターとして執筆活動を始める。在日中国人や暴力団、犯罪などについて取材し、月刊誌や週刊誌に記事を掲載している。著書に『龍宮城 歌舞伎町マフィア最新ファイル』『ドリーム・キャンパス』『アウトロー刑事の人に言えないテクニック』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
韓流バブルがはじけマルチカルチャーの街へ変貌
多文化共生のモデルタウンとも言うべき東京・新大久保。が、この街は韓流の興隆と共にコリアン・タウンとして脚光を浴びるようになり、韓流の中のトレンドを反映して街の風景も大きく変化した。
ドラマ「冬のソナタ」(日本での放送は2003年から)をきっかけとした韓流初期、街には肖像権や著作権を無視した、ペ・ヨンジュンことヨン様グッズに溢れ、彼の顔がプリントされていれば何でも売れたと言っても過言でなかった。人気ドラマの海賊版DVDも人気商品で、ほどなく東方神起がデビューすると、彼らのグッズが顔を見せるように。
またお洒落系音楽(韓国で言うところの渋谷系音楽)をバックに演じるドラマ「コーヒープリンス1号店」が輸入された翌年(2009年)には、その名も丸パクリなカフェ<コーヒープリンス>が登場。ドラマの設定と同様に、新大久保のカフェもイケメンの韓国人スタッフが迎え、いつしか「新大久保に行けば、イケメンに会える」との噂が実しやかに流れるようになった。
そして2010年、KARAの日本上陸と共にK-POPブームが沸き起こると、街には多くのK-POPファンが押し寄せる。その多くは10~20代の女性ファンで、新大久保が原宿化したと言われるようになったのもこのころ。並べられるグッズも韓流スターからアイドルへ変化し、海賊版DVDの中身もドラマからアイドルの出演するテレビ番組やライブ映像が主流になった。
またK-POPブームは新大久保にご当地アイドルをも出現させている。2010年、「近くて会える」がウリなアイドル・グループ、KINOが登場すると、彼らが本拠地とするライブハウスには回数券を買ってまで何度も見ようとする熱心なファンが急増。KINOの成功をきっかけに、雨後の筍のように新大久保アイドルが現われた。
2012年になると、イケメンとK-POPという二つの要素をミックスしたカラオケ・バー「ボーイフレンド」が登場する。それまで韓国人女性によるガールズバーはあったが、韓国人男性が接客するカジュアルなバーは大久保ではここが初。50分2000円飲み放題という安価な設定が受け、新大久保は韓流ファンやK-POPファンを24時間体制で引き寄せるようになった。
このように韓流がスタートしてから、その風景は年々変化してきたのだが、変らぬ側面もある。多くの飲食店は韓国人スターが来店したことをアピールし、中には、「誰々がこの席に座りました」ということを矢印付きで説明する店も。店本来の味や接客ではなく、<スターにおんぶにだっこ>が新大久保の飲食店の在りようだった。
もう一つの例を挙げたい。新大久保にはK-POPアイドルの看板を掲げて、ファンを惹きつける飲食店が2軒ある。どちらもオープン時こそ話題を集めたが、今はかつてほど繁盛していない。ひとつは看板アイドルが入隊中に営倉入りの処分を受けるほどの失態を犯し、もうひとつの店もアイドルがDV疑惑でダメージを負っている。どちらも本人のマイナスイメージがその店に負をもたらしている。
飲食店に限らず、街全体がブームやスターありきで、つまり、そこには自律性がない。自律性が欠如しているからこそ、街は、韓流の中のトレンドに沿い、その時々で様相を変えていったのだった。
では、韓流終焉が叫ばれる新大久保の今とは? それは、
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