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戦後日本にとって原子力とは何であったのか

京大原子炉実験所の小出裕章さんと文化学園大学の白井聡さんが講演

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

広島市の相生橋東詰にあった、被爆直後の日本赤十字社広島支部の倉庫=1945年8月10日、朝日新聞大阪本社写真部・宮武甫撮影 広島市の相生橋東詰にあった、被爆直後の日本赤十字社広島支部の倉庫=1945年8月10日、朝日新聞大阪本社写真部・宮武甫撮影
 2月22日に東京都内で、「原発と差別、戦後日本を再考する」というシンポジウムがありました。京大原子炉実験所の小出裕章さんと、「永続敗戦論」の著者である文化学園大学の白井聡さんが講演しました。示唆に富む内容でしたので、ご紹介します。

  小出さんの講演のタイトルは、「原子力の平和利用は差別の上で成り立った」。広島に落ちた原爆の話から始まりました。小出さんによると、一晩で10万人が死亡し、東京の4割が焼けた東京大空襲で落とされた爆弾は1800トン。それに対して、広島原爆1発の爆発力はその9倍の1万6000トン(16kトン)だそうです。

  原子爆弾をつくるには、爆弾に必要な「燃えるウラン」(U-235)だけを集めるウラン濃縮という作業が必要です。しかし、天然のウランにはU-235は0.7%しか存在せず、広島原爆の爆発力(16kトン)を得るのに必要なウランU-235の濃縮作業には94kトン相当のエネルギーが必要なのだそうです。ウラン濃縮という作業は、爆弾の何倍ものエネルギーが必要で、非常に大変な作業です。

  小出さんは世界で保有されている核兵器について言及しました。米国が保有している核兵器の量は500万kトン、それに対して、朝鮮民主主義人民共和国が仮想的に持ちうる核兵器の最大量は50kトンだそうです。それを

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