メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

原子力廃絶までの道程

定年退職する京都大学原子炉実験所の小出裕章助教が最後の講演

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

小出裕章さんの研究室には、田中正造のカレンダーや肖像が飾られている=2012年12月5日大阪府熊取町の京都大学原子炉実験所 拡大小出裕章さんの研究室には、田中正造のカレンダーや肖像が飾られている=2012年12月5日大阪府熊取町の京都大学原子炉実験所
 3月5日のWEBRONZA「戦後日本にとって原子力とは何であったのか」でご紹介した京都大学原子炉実験所の助教小出裕章さん(65)が3月末の定年退職を前に、先日、大阪府の南部、熊取町にある京大原子炉実験所で、講演をしました。小出さんを含む「熊取6人組」と呼ばれた反原発を訴える研究者らが1980年から続けてきた「原子力安全問題ゼミ」の第111回目でした。小出さんの大学での最終講演とあって、全国から約140人が集まりました。

  小出さんはいつもの低い、良い声で、よどみなく1時間半、「原子力廃絶までの道程」と題して、自分の研究生活について、原発問題について、社会について、熱く語りました。

  小出さんは東京・上野生まれです。開成高校に通っていたころ、原爆展に足を運び、衝撃を受けました。核分裂から生じるエネルギーの大きさ、被害のすさまじさが胸に突き刺さったと言います。「私は(原子力を)原爆という形で使うのは間違いだと思った。けれど、こんなエネルギーが出るなら、人類のために使いたいと思ったのです」。そう思った小出少年は、原子力に夢をかけていきます。

  小出さんはパワーポイントで1954年7月2日の毎日新聞の記事を取り上げました。そこにはこう書かれてありました。

  ――さて原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠なものといってよいだろう(中略)。電気料は2000分の1になる(中略)。原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない、大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運びこみ、たきがらを捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる――

  「私自身は高校生のころ、完璧にこれを信じました。化石燃料がなくなれば原子力しかないと思ったのです」。その夢をかなえるため、小出さんは東北大学の原子核工学科に進みました。

  「しかし、事実は全く違ったのです」と小出さんは言い切りました。「原子力の燃料であるウラン(の埋蔵量)は、発生できるエネルギー量に換算して石油の数分の一、石炭の数十分の一しかない。こんな貧弱な資源に、こんなものに、人類の未来を託すのは間違いだったのです。人類はばかげた夢を原子力にかけてきたのです」。毎日新聞のかつての記事にあった「電気料は2000分の1になる」ということについても「冗談じゃない。原子力はやればやるだけ単価が高くなります。いい加減に夢からさめなくてはいけません」と強調しました。

  原子力に夢を抱いて大学に進んだ小出さんでしたが、大学時代に原子力施設は田舎、つまり人口の少ない地域にしか建てられないものであり、実際にそうした地域に押しつけられていることから、反対運動に身を投じました。そして、原発を止めさせるために研究を続けようと、京大原子炉実験所に就職したのです。

  講演で小出さんは、大量に生み出される放射性物質についても触れました。小出さんによると、100万キロワットの原子力発電所1基が1年運転するごとに燃やすウランから生み出される核分裂生成物は約1トン。これは広島原爆の1万発分だそうです。原子力発電は大量の核分裂生成物いわゆる核のゴミを生み出します。

  そして、2011年3月の東京電力福島第1原発の事故です。「4年たった今も、事故は収束していません」と小出さんは断言します。当時の野田首相が「収束宣言」をしたときは、「政治家は頭がおかしいのか」と思ったほどだった、と厳しい言葉で振り返りました。

  「事故当時、定期検査中で運転していなかった4号機の使用済み燃料プールの底には、広島原爆1万4000発を超えるセシウム137があった。これは最大の危機でした」と述べ、14年11月はじめにようやく、共用燃料プールに移送を終えたときは、正直「ホッとした」そうです。しかし、「当時運転中だった1号機から3号機はすでに熔け落ちた炉心がいまどこにあるかすらわからない。4年たった今でも現場に行けないのですから。(冷却するために)ひたすら水を注入してきたけれど、放射性汚染水があふれる結果になっています。原子力は本当に過酷なものだと思います」と小出さんは続けました。

  「放射能の封じ込め作業が果てしなく続いています。毎日7000人が働いているが、彼らは東電社員ではなく、最低賃金も受け取れない下請けの人たちです。あふれる放射能汚染水はタンクに詰められていますが、そのタンクもほとんどが応急タンクです。そして、そこからどんどん汚染水が漏れていく。ちゃんとしたタンクは造れないからです。原発の敷地内は放射能の沼になっていて、応急的な作業しかできないのです」。現場の厳しい状況をそう語りました。

  話は、原発内の汚染状況から原発の敷地外に大量に放出された放射性物質に移ります。政府が避難指示を出しているのは、琵琶湖の1.5個分にあたる1000平方キロ。この地域の住民は強制的に避難させられ、流浪化させられた、と小出さんは指摘しました。「10万人を超える人が今も帰れない。おそらく、何十年も帰れない。しかも、その周りの1万4000平方キロの地域も汚染され、放射線管理区域にしなくてはいけないところになってしまっています。本来なら、そこ(放射線管理区域)は水を飲むことも食べることも許されません。しかし、(国の方針では)勝手に住めとなっていて、その地域の人はそこで生きるしかない状態になっています」と話しました。

  小出さんが働いてきた原子炉実験所で放射性物質を取り扱う場所は、法律で放射線管理区域に定められています。基準は1平方メートルあたり4万ベクレルです。「その中で働いてきましたが、そこでは水を飲むことも食べることも許されない。出口はいつも閉まっていて、出るときには汚れを1回1回測ります。外に出るときは、測定器にかからないとドアが開かないのです。ドアの外には、4万ベクレルという基準を超えたものは一切持ち出せません。そんな管理区域より汚れている地域がかなり広がっているのです。本当は人々を追い出さなければいけないのに、どうしようもなくて、日本政府はそこに人々を捨てることにしたのです」

  日本政府がIAEA閣僚会議に対して出した報告書によると、大気中だけで広島原爆168発分のセシウム137を放出した、とのことです。ほとんどが2号機から放出されたものでした。「この数字は私が言っているのではありません。日本国政府が言っているのです。(原爆)1発分でも大変恐ろしいのに、大気中に168発分のセシウム137をまき散らしたのです。そのほかに海にも出しています」。福島原発から大気中に放出された放射性物質は、偏西風にのり、太平洋に流れました。小出さんはその様子をパワーポイントで示しながら、「(福島第1原発の事故は原爆の)何百発分の放射性物質をまき散らし続けています」と続けました。

  さらに、除染作業で出たフレコンバック(汚染物を入れたもの)が山のように積み上げられている写真を見せながら、こうも言いました。「言葉の本来の意味で言えば、“除染”はできません。“移染”です。放射線管理区域より汚れている場所に住むためには、しなくてはいけない作業だけれど、しかし、そこらじゅうにフレコンバックはあふれてきています。しかも移染できるのは、ほんの一部、家の周りや校庭などです。林とか山とか農地とかはできません。国は除染で出た廃棄物を埋め捨てろといっているけれど、私はそれは正しくないと思う。もともとは原子炉にあったものです。東電の所有物だったものです。集めたものは東電に返すべきです。本来なら第1原発に返すべきですが、しかし、それは今はできないから、福島第2原発の敷地に持っていくべきです。再稼働はすべきではなく、核のゴミの埋め捨て場にするべきです」と原発事故の直後から述べている持論を話しました。

  福島に行くたびに放射能が目に見えればいいのに、と思うと、小出さんは言います。「日本国政府が放射線管理区域のように汚れていると言っている、事実として汚れている地域に、そこに、子どもたちが捨てられているのです。いまの状況で私に何ができるのか。ここにいる大人のみなさんも何がしかの責任があったと思います。しかし、子どもには責任はありません。しかも子どもは被曝に敏感です。自分は被曝しても、子どもたちを被曝から守るのが大人の責任ではないでしょうか」と、子どもたちを守ることの大切さを訴えました。

  小出さんは厳しい言葉で国の責任も問いました。「日本は本当に『法治国家』なのか」と。「日本には、一般人は1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をしてはいけないし、させてはいけないという法律がある。放射線管理区域から1平方メートルあたり4万ベクレルを超えて放射能で汚れたものを管理区域外に持ち出してはならないという法律もありました。なのに、事故が起きたら、政府はそれらをすぐに反故にした。法律を守るのは国家の最低限の義務ではないでしょうか」

  さらに小出さんは続けます「日本ではこれまで58基の原子力発電所が建てられました。そのすべては自民党政権が『安全性を確認した』として建てられました。電力会社、原子力産業、ゼネコンをはじめとする土建集団、学会、裁判所、マスコミ、すべてがグルになって原子力を進めてきました。もちろん、福島第1原子力発電所も「安全性を確認した」として建てられましたが、事故を起こしました。原子力マフィアには重大な責任があるが、誰一人として責任をとっていません」

  「原子力マフィアは無償で生き延び、いま止まっている原子力発電所の『安全性を確認して』再稼働させると言い、さらに新たな原子力発電所を建設し、『世界一の原子力技術』を使って原子力発電所を輸出すると言っています。彼らにとっては、いま進行している悲劇を少しでも小さく見せることが必要だし、福島第1原子力発電所の事故を忘れさせようと策謀しています」

  さらに、たまる一方の核分裂生成物に言及して、「事故がおきなくても原子力はバカげたものです。なぜなら、事故が起きなくても核分裂生成物ができてしまうのです。その核のゴミは、広島原発に換算するとすでに130万発近くになっています。しかし、それを消すこともできず、どこかに埋めるしかないけれど、その場所もないのです」。自分で始末できない毒物を出し続ける原子力の矛盾を強調しました。

  小出さんは日本にある原発を日本地図に落とし込み、原告適格が認められた250キロを半径とする円を書き込みました。すると、原子力施設から250キロ以上離れた場所は、日本では沖縄と北海道の東部以外になく、「沖縄と道東以外、安全な場所はありません」と指摘しました。

  原発の新規制基準については、「今回の基準も『安全』基準ではなく、『規制』基準です。そのため、それに合格したからと言って『安全だとは申し上げない』と田中俊一規制委員会委員長自身が言っています。ところが、政治の場に行くと『安全性を確認した』と巧妙なすり替えが行われています。だれひとり責任をとらなくてもいい形になります。そして、できない避難計画は各自治体に押しつけています」と語りました。

  小出さんは、「平和利用」という言葉に隠されたごまかし、原子力と差別の問題などに触れた後に、かつての戦争と、原子力問題を重ねて話しました。

  「かつての戦争のとき、大多数の日本人は戦争に協力しました。大本営発表しか流されなかったし、戦争を止めることは誰にもできませんでした。仕方なかったのかもしれません。しかし、戦後、多くの人はだまされたからだと言い訳をしました。ほとんどが自己を正当化し、悪いのは『軍部』と言い出す人もいました。でも、戦争に反対し、国家によって殺された人もいました。その上、ごくふつうの人々が戦争に反対する人を非国民と呼び、村八分にし、殺していきました。原子力でも多くの日本人がだまされてきました。でも、そう言ったままでいいのでしょうか。原子力に対してどう向き合うのか、私たちは未来の子どもたちから必ず問われます」

  そして、小出さんは、講演の最後をこのように締めくくりました。

  「私は若い時に、愚かにも原子力に夢を抱いてしまいました。本当に愚かでした。原子力は私がかけた夢とは、私が願っている世界とは、正反対の世界でした。原子力を進める組織はあまりにも巨大で、私は敗北し続けました。私が原子力を止めさせたいと考えたとき、まだ3基しかなかったのですが、その後全部で58基造られてしまいました。自分の力は無力でした。そして、ついに福島第1原子力発電所の事故も起きてしまいました。敗北の歴史です。何のための人生だったのかとも思いました。でも、私は41年間、ずっと自分のやりたいことをやることができました。だれからも命令されなかったし、最下層の教員だったので、誰にも命令しませんでした。こんな恵まれた職場で働けたことはありがたかったです。全国で反原発を闘う仲間たち、6人組の仲間にも恵まれました。私を見守ってくださった方々に感謝します」
大きな拍手が会場を包み込みました。

  その後に行われた質疑では、小出さんの定年を惜しむ声が相次ぎました。小出さんは4月からは長野に移り住み、「仙人になる」と宣言。「定年は社会的制度にすぎません。大したことではありません。生き物は年老いていつか死ぬ。その避けようのないことを自覚する一里塚でしょうか。41年間走り続けてきたので、少しずつ退いていくべきでしょう。福島の事故は収束できず、人々の苦難もあるので、全く離れることはありません。これまでも私にしかできない仕事を引き受けてきたし、それをしながら少しずつ退いていきたいと思います」と話しました。

  41年間、助教(昔でいう助手)のままで働き続け、クーラーは使わず、電気をつけない研究室はいつも暗く、自転車で通勤していた小出さん。その筋の通った生き方に脱帽するとともに、彼の言葉を、事故からちょうど4年がたったいま、私たち一人ひとりがかみしめる必要があるのではないか、と感じました。福島第1原発の事故を経験した私たちは将来、このまま原発が再稼働され、もしその後、何かが起こっても、「自分たちはだまされていたのだ」と言うことはもうできません。私たち一人ひとりの責任は免れないということを自覚しなくてはいけないのだと、小出さんは最後に語ったのだと思いました。

  場所を変えての懇親会。「仙人になる」と宣言した小出さんは、最後のあいさつでこう言いました。

  「やっぱり原子力はやめさせたいし、もう少しましな社会にしたいと思っています」


筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

大久保真紀の記事

もっと見る