4年後がすぐ見えてきた理由
2015年03月25日
早いもので、フィギュアスケートシーズンももう終盤。
残るビッグイベントは、3月の世界選手権、4月の国別対抗戦のみとなってしまった。話題性も注目度も、もっと控えめになっていいはずの、アフター五輪シーズン。しかし予想に反し、いまだその動静から目が離せないのが、日本の男子シングル勢だ。
全日本選手権から、シーズン後半の各戦へ。主要選手の動きを改めて追ってみたい。
全日本選手権、5位――。
シーズン序盤、優勝したスケートカナダでの滑りを思えば、こんな順位には納得がいかない、と憤りたくなるのが無良崇人だ。
小塚崇彦、町田樹、そして無良崇人。
彼ら3人には、個人的に少し特別な思い入れがある。
その下の世代に当たる3人は、小塚が高校2年、町田が高校1年、無良が中学3年。ひとつずつ年の違う彼らは、ジュニアを舞台にひとつひとつ実績を積み、「日本の男子、まだまだ出てくるぞ!」と世界にアピールしつつあったのだ。
この世代では飛びぬけて才能があり、小さなころからずっとスポーツエリートの道を突っ走ってきた3人だ。
いつか世界のトップに立ってやる!という気概をあらわにしていたわけではないけれど、少年らしい凛としたプライドが、滑りにも、その言葉にもあふれ出ていた。
「みんなが上手くて、大変といえば大変だけれど……一人で孤独にがんばってるより、ライバルがいるから張り合いがある、これも確かです。他の誰かががんばってるから自分もやんなきゃ……なんてちょっと消極的かもしれないけれど、そんな気持ちのおかげでがんばれることだって、やっぱりある。近くにいい競争相手がいるからこそ、練習にも熱が入るってこと、絶対あるんですよ」(小塚)
「スケートをここまでやってきて……ショックなこともいっぱいあった。でも、嫌なことが続いたぶん、いいこともたくさんあるから、やっぱり続けてきて良かったな、って思います。特に自信を持って試合に出て、全日本ジュニアで優勝できた時は、ほんとにうれしかった。最初は親の勧めで始めただけなのに、スケートやってなかったら、今、僕は何やってたんだろうって……ほんとに不思議です」(町田)
「上手くいかなかった年の経験も、きっと自分を苦しめてるばかりじゃない。それ以前に比べたら、ジュニアグランプリファイナルとか、こんなにたくさん出たことない!ってくらい試合に出たことで、試合をどう運んでいくかも分かってきました。それまでの僕は、ただ何も考えず、試合をこなすだけって感じだった。今はこうしていろいろ考えるようになったのは、成長した証じゃないかな」(無良)
若いながらもトップアスリートらしいきらめきを見せつつ、でも素顔の彼らは、揃ってやんちゃ坊だ。2007年ごろだろうか。夏の合宿で町田樹を取材していると、小塚と無良が面白がって茶々を入れてくる。その一幕が、なんだかいつまでも忘れられない。
「やっぱり演技力では、樹に勝てへんような気がするなあ」(無良)
「そんなことない、僕も特別努力してるわけじゃないし。きれいに滑ろう、とか意識はしてるけど……」(町田)
「自然にできてる、それがすごいことだと思うなあ」(無良)
「僕は努力してるのに、全然出来ないよ!」(小塚)
「樹は誰よりも情熱的だしね」(無良)
「そうかなあ。たまたま去年まで滑ってた曲が情熱的だっただけじゃない?」(町田)
「樹を見てると、哀愁って感じもするよ」(小塚)
「哀愁って何?」(町田)
「うーん、じわーっと……なんか出てくるもの」(小塚)
ひとたび試合が始まれば、同じ氷の上で火花を散らす同士である。
実際この前のシーズン、全日本ジュニアでは絶対的な優勝候補だった無良を町田がくだし、悔しさと晴れがましさをあらわにした同士だ。その次の冬にはまた立場が逆転するなど、追いつ追われつしながら揃って成長を続けている。
ふだんの練習リンクでは、一人の男の子に対し女の子が10人、という男女比の環境で育った彼らだ。貴重な同性のスケート仲間と、オフタイムは気安くじゃれあいながらも、本気の勝負では一歩も譲らない。
そんな日本の、男子フィギュアスケートならではの気持ちのいい空気を教えてくれたのも、彼らだった。
3人が3人とも競って強くなって、高橋と織田の拓いた道を邁進して、いつかは世界の表彰台で、この中の誰かと誰かが肩を並べて笑ってくれたら……そんなふうに思いながら見ていた。
そんな3人が、7年後――。ソチ五輪で滑るという大きな夢を叶えたひとりも、夢のまま散ったふたりも、それぞれの思いを胸に現役を続行した今シーズン。
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