「明日も喋ろう 弔旗が風を鳴るように」の句を前に、朝日は胸を張れるか
2015年09月15日
「明日も喋ろう~」の句を前に、朝日は胸を張れるか
こんな句をご存知だろうか。
「明日も喋(しゃべ)ろう 弔旗が風に鳴るように」
安全保障法案が衆院本会議を通過したことを報じる7月17日付け朝日新聞の朝刊の片隅に、ある女性の訃報が掲載された。
小尻みよ子さん。84歳。
1987年5月、朝日新聞阪神支局が目出し帽を被った男に襲われ、記者2人が散弾銃で撃たれて死傷した。そのときに亡くなった小尻知博記者(当時29)のお母さんだ。もう28年も前のことになる。
当時、朝日の記者だった私は、事件直前の1年間、小尻記者と阪神支局で机を並べる仲だった。その後、大阪へ転勤となり、事件のあった日は支局に駆けつけ、まだソファに飛び散った血のりが生々しい支局内で、数人の記者とともに原稿を書いたことを覚えている。
搬送先の病院に詰めていた記者から電話で告げられたのは深夜だった。
「小尻、死亡」
静まり返った支局で、ロッカー裏から「ガーン、ガーン」という音が響いた。のぞくと、支局長が頭をロッカーに打ち付けながら唸っている。
「なんでや、なんでや!」
その直後、私は事件を調べる特命班のひとりに指名された。デスクからの指示はひとつだけ。
「記事は書かなくてよいから、犯人を捜して来い」
ずいぶん乱暴な話だが、その一言に、武者震いをしたものだ。
それから2年間、4人の班員の隠密行動が続いた。暴力団に右翼や宗教団体。いまでも詳しくは書けないが、聞き込みから張り込み、尾行に潜入など、きわどい“取材”に鬱憤がたまっていく。犯人の影さえ見えず精神的に追い詰められ、班内で衝突することもしばしばだった。500円大のはげができたのも、このころだ。
そんな時だった。デスクが額に入れた色紙を支局の壁に掲げたのは。
「明日も喋(しゃべ)ろう 弔旗が風に鳴るように」
元は、亡くなった友人を詠んだ詩人の作のようだが、私は救われたような気がした。どんな攻撃を受けても
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください