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ネットによって激変した事件取材

LINE使い逐一報告しSNSで情報を収集、効率的な半面で生まれやすいミスリード

小野一光 ノンフィクションライター

 先日、発生して間もない殺人事件を取材する機会があった。

 数人の記者で取材先を分担しての仕事だったが、まず最初に手をつけたのが、無料通信アプリである「LINE」のグループに参加するという作業だった。

 そこで情報を共有し、自分はどこにいるから、誰はどこに向かって欲しいというように指示を出し合うのだ。さらには、いまこの写真を入手したから、これ以上は重複する必要がないということなども、グループ内で逐一報告していく。

  また、関わった事件は地方都市で発生したものだが、東京の編集部にはネット情報を専門に追尾する班もあり、「Twitter」や「Facebook」といったSNSで浮かんできた情報を収集。そこからも新たな情報が随時寄せられた。その他、投稿サイトに書き込まれる玉石混合の情報も、出典を明記した上で送られてくるため、記者が確認に走ることになる。

 普段は一人で取材することの多い私にとっては、共同作業を効率的に行うために、こういう方法が常態化していることについての、新たな驚きがあった。もちろん、情報を集約して共有する方法は、かねてから新聞やテレビ、雑誌の取材現場で実行されてきた。ただ、それが「LINE」の登場によって、より同時進行的になり、それに加えて投稿サイトに上げられる内容も、被害者や加害者の通信ログといった、具体的なものが増えてきている。

  結果として、以前では考えられないほど膨大な情報が、ごく短期間に集まるようになった。それこそ、加害者も被害者も瞬時に丸裸にされるかのような勢いだ。これまでの事件取材は、一つの取材先から次の取材先のヒントを得るといった、枝を広げて葉を摘み取る作業だったが、いまは大量に生い茂った葉を一気にかき集め、そのなかから、使えるものを選別する作業に切り替わったのである。

  とはいえ、こうした作業は効率的である反面、ミスリードを生みやすいと感じたことも事実だ。

 情報を地道に積み重ねて徐々に全体像が見えてくるという流れにくらべ、一気に集まった情報をそぎ落として事実を象っていくという流れは、取捨選択の面において、どうしても先入観に左右されがちである。というのも、やはり目の前に万人が興味を持ちそうな情報を出されると、そちらを取り上げたい誘惑に駆られてしまうからだ。

 とくにネット上の憶測には、気をつけなければならない。いくつかの断片情報をはめ込み、それなりに”もっともらしい”作りになっている事件の見立てには、事実に反するものが少なからずある。

 現場において、きちんとした確認を重ねることで誤った情報は排除できる。当然、報道各社にはそのことが強く求められているが、必要な作業を怠った結果、ネット上のデマに乗せられてしまうということも、時には起きてしまう。

被害者の女子中学生の自宅周辺では、近所の人たちに取材する報道陣の姿が見られた=2015年8月18日、大阪府寝屋川市被害者の女子中学生の自宅周辺では、近所の人たちに取材する報道陣の姿が見られた=2015年8月18日、大阪府寝屋川市
 たとえば大阪の「寝屋川中1男女遺体発見事件」では、一部の週刊誌が、被害者の交遊関係が事件に結びついたとの憶測をそのまま記事として掲載した。だが、容疑者の逮捕によって、それが事実無根であることはすぐに明らかになった。

このような誤報は、遺族やその関係者にもたらす悲劇の塗り重ねであり、いかに取り返しのつかないものであるかについては、改めて説明するまでもない。

 また、ネット上では同姓同名である別人が犯人であるとして、顔写真を”晒され”るようなこともある。これは2013年に鳥取県で

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