安保法制の「国民守る」は、相手を「殺す」というリアリティ
2015年09月29日
一連の安保法制が成立したことによって、政府はいよいよ具体的な運用の準備に取り掛かってい
安倍晋三総理が昨年5月15日のスピーチで、このPKOの「駆けつけ警護」について触れた部分を紹介する。
「一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかないのです。これが現実なのです。皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのでしょうか。内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても、国民の命を守る責任があるはずです。そして、人々の幸せを願ってつくられた日本国憲法が、こうした事態にあって国民の命を守る責任を放棄せよと言っているとは私にはどうしても考えられません」
安倍総理は、この短いフレーズの中で「守る」を3回も繰り返している。全文を読んでいくと、20回に及ぶ念の入れようだ。だが、この「国民の命と平和な暮らしを守る」ための武力行使は、少し想像力を働かせれば、交戦相手の命を奪うことにつながっていくことに気づくはずだ。「守る」というお題目の前に、駆けつけ警護の先にある「殺す」というおぞましい事実と、さらにその先にある「報復」によって「殺される」というリアリティが埋没してしまっている。
PKOの現場で、どれだけの兵士が亡くなっているか、知っている人は少ないと思う。PKOが創設された1958年以来、今年8月末までに3395人にのぼる。多くは自動車事故などの事故と病死だが、うち875人(25%)が敵対行為、いわゆる戦闘などによって死亡している。とくに昨年までの3年間の戦闘などによる死者は、22人、36人、39人と増加傾向にある。
なぜ彼らは死ななくてはならなかったのか。
私が90年代に1カ月半にわたって中東のPKOを取材に行ったとき衝撃的だったのは、各国の派遣部隊の宿営地内には、必ず亡くなった兵士名が刻まれた慰霊碑があったことだ。国連レバノン暫定軍(UNIFIL)では、紛争地域を各国から派遣された部隊が地域ごとに展開して
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