突っ走った警察、チェックできなかった検察、最大の責任は自白調書重視の裁判所
2015年11月03日
簡単に事件経過を振り返っておこう。入浴中の娘を、隣接する駐車場にガソリンを撒いて放火して殺害し、1500万円の保険金を請求したいわゆる保険金殺人事件として取調べ、母親と内縁の夫の両者から自白を得た。借金が200万円あったことは疑われる理由となったと推察される。検察は、この見立てのまま起訴、1999年第一審で両者ともに無期刑となり、高裁、最高裁も、それを支持し2006年に確定した。
どこがおかしかったかを論じる前に、一点確認しておく必要がある。「疑わしきは被告人の有利に」あるいは「罰せず」という刑事裁判の原則については、良く知られている。素人感覚でも、確実でないのに犯人にされてはならないという慎重さは、犯人をあげたいはやる気持ちがあっても納得できることであろう。
しかし、「疑わしき」の程度はどのぐらいなのかということは理解不足のように思う。そもそも単純に程度問題と考えてはいけない。単に文句なしの証拠があるかどうかではなく、あってはならない疑いとは、「合理的な疑い」である。他の犯人がいたとしても辻褄が合う、あるいは、事故や自殺と考えても辻褄が合うことが、典型的な合理的な疑いがあって有罪にできないケースである。そのことを理解しておけば、このケースでは、駐車場の自動車からのガソリン漏れが風呂の種火に引火した事故死の可能性を捜査で「つぶして」おかなければならなかったことが指摘できる。
後から思えばという面はあるが、まず、警察が、保険金殺人を疑ったあと、その線だけで突っ走ってしまった。これが、最初のミスである。しかも、保険金殺人でわが子を殺すにしては手口が奇妙だし、ガソリンを撒いてライターで点火したのに火傷が少なすぎるなど不審に思えることがたくさんあったのに自白を取れたことで、全て無視してしまった。
続いて、事件は検察の手に渡る。警察の現場が、少々走りすぎても、これをチェックすることが検察の役割である。事故の可能性について捜査すべきであった。この当然のことが抜けたのも、おそらく自白があるからではなかったかと推察される。
そして最後に、地裁の裁判官までもが、事故の可能性について無視してしまった。弁護側は争点として指摘しているにもかかわらず、簡単に退けた理由は、やはり、自白調書があったから以外には考えられない。なにしろ、他に有力な証拠はなにひとつなく、保険金のことが気になる程度の事件であった。警察官、検察官、裁判官、いずれも典型的な、自白調書重視
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