「洗練」の第一歩を見せたフリー。しかし……
2015年11月16日
きりっとした表情。
すばらしい気魄に満ちた手足。
集中力のすべてを、ジャンプに、身体表現に注ぎ込んで見せたフリー。
ショートプログラムでの生気のなさをいっさい感じさせないプログラム「SEIMEI」を見て、人々は何を感じただろうか。
「いや、彼はこういう男だ。追いかける立場はむしろ得意のはず。あのショートプログラムの悔しさがあれば、このくらいできても不思議はない。驚きはないよ」
驚いた、という人も、想定の範囲だ、と言う人も。しかしどちらも、このフリーをあまりにも羽生結弦らしい、と思ったはずだ。追い詰められてこそ爆発的な力が出せる、これが羽生結弦だ、と。
しかし誰もが知っている「羽生結弦らしさ」。「彼らしく」あることは、どれほど大変なことだろうか。
ショートプログラムで見せた姿を「羽生らしくない」と人は言うかもしれない。しかし、
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