忘年会シーズンの師走、勾留されると否認を続ける限りは過酷な取り調べが続く
2015年12月03日
痴漢冤罪については、周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』(2007年)で一躍クロースアップされたが、実は、昔からあること、まともな法律家なら誰でも知っていることだった。
日本の刑事司法に各種の冤罪が多いことは、『ニッポンの裁判』(講談社現代新書)に詳しく記したとおりである。誰でも、たまたま事件に近い位置にいて、何らかの怪しい点があると思われれば、見込み捜査のターゲットにされうる。
もちろん、冤罪は、どこの国にも、時代にも存在する。その意味では、刑事司法の避けられないリスク、宿痾であるともいえよう。
しかし、冤罪の問題が日本の場合にことに大きいのは、「人質司法」と呼ばれる捜査手法と密室における過酷な取り調べ、そのことを始めとして刑事司法システム全体が徹底して社会防衛に重点を置いており、また、徹底して検察官主導であって、被疑者、被告人の権利には無関心であること、強大な検察の権限をチェックする適切な仕組みが存在しないこと、などの要素が相まって、冤罪が構造的に作り出されてきたし、その傾向が一向に改善されないという点にある。
「人質司法」とは、身柄を拘束することによる精神的圧迫を利用して自白を得るやり方だ。日本の刑事司法の顕著な特徴であり、冤罪の温床となっている。
まず、逮捕に続き、被疑者の勾留が行われる(なお、被疑者とは、捜査の対象となっているがまだ公訴を提起されていない者。被告人とは、公訴を提起された者。この違い、覚えてください)。
被疑者の勾留は、原則10日間だが、制度上は20日間まで延長が可能であり、犯行を否認すれば20日間は勾留されることになる。逮捕から勾留までの期間を考えると、さらに、最大限3日間が加算される。たとえ比較的軽微な犯罪であっても、否認すれば、勾留されたまま、こんなに長く責め立てられる。
裁判官による勾留の理由、ことに罪証隠滅・逃亡のおそれの判断は甘く、簡単に勾留が認められる。ことに、フリーターなどは、「身元のしっかりしていない人間」とみられやすい。勾留という
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