メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

82歳となった天皇陛下の「老熟力」

きめ細かな活動から、些事にこだわらぬおおらかさへの微妙な変化

岩井克己 ジャーナリスト

 天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎える。

 皇后さまとともに80歳を超えてなお、ひたむきに公務に向き合う日々が続くが、この数年の微妙な変化も見過ごせない。平成のスタートから継続して取材してきた筆者の目からは、活動のきめ細かさが特徴だった両陛下の姿勢に微妙な変化が生まれているように見えるのだ。

  これからは些事にこだわらず、積極的に若い世代に信頼し託していこうという気配が見える一方、しかし本当に切実な基軸的な務めには引き続きひたむきに自ら向き合い続けることで、後継世代にも背中を見て、確実に引き継いでもらいたいという覚悟がますます強まっているように感じるのである。

訪問したパラオの晩餐会であいさつをする天皇陛下=2015年4月8日、パラオ共和国コロール島拡大訪問したパラオの晩餐会であいさつをする天皇陛下=2015年4月8日、パラオ共和国コロール島
  戦後七十年の節目の2015年、「慰霊の旅」で10年前のサイパンに続いて再び国境を越えてパラオ・ペリリュー訪問を果たした。以前は、天皇が大戦の跡も生々しい個々の戦場に赴くことは、象徴天皇のありようとしても公平性からも考えにくいとされていたが、海外で果てた人々の慰霊と相手国民との和解に燃やす現天皇の執念が、この矩(のり)を超えて足を踏み出させたように思う。

  そして、2016年1月にはフィリピンを訪問する。大戦中の日本軍の戦没者240万人のうち最も多い52万人近くがフィリピン戦で亡くなった。生還率はわずか23パーセント。遺骨も8割が今なお未帰還で「草生す屍」となったままだ。フィリピン人犠牲者も110万人とも言われている。

  即位後、現天皇の初めての外国訪問先には東南アジア諸国連合(ASEAN)が選ばれ、1991年(平成3年)にタイ、マレーシア、インドネシアを回り、2006年(同18年)にはタイ、シンガポール、マレーシアを回ったものの、フィリピンは含まれなかった。レイテ、ルソンの激戦場やマニラ市街戦で多大の犠牲を生みながら、戦後の歴代フィリピン政権は日本人戦犯の釈放、親日的外交に踏み切る寛容な姿勢を見せてくれ、日比関係も良好。1962年の皇太子夫妻時代の訪問では温かい歓迎ぶりをみせてくれたにもかかわらず、即位してから一度も訪問していなかった。フィリピン国民の間に日本軍の大規模な加害の記憶と反日感情が沈殿していたこともあったようだ。

  戦中世代がほとんどいなくなり、戦争体験の風化が進み、憲法9条の解釈変更や自衛隊任務の拡大が進むなか、改めて大戦の巨大な惨害を振り返り、置き去りになっていた遺骨収集に目を向ける動きも出ている。

  高齢である。耳もめっきり遠くなられた。

  2015年8月15日の節目の全国戦没者追悼式で、天皇は式次第を ・・・ログインして読む
(残り:約1145文字/本文:約2247文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

岩井克己

岩井克己(いわい・かつみ) ジャーナリスト

ジャーナリスト。朝日新聞特別嘱託。1947年生まれ、71年入社。94年から2012年5月まで朝日新聞編集委員。皇太子ご夫妻訪韓延期へ、礼宮さま婚約、即位の礼の骨格、雅子さま懐妊などをスクープ。05年、「紀宮さま婚約内定」の特報で新聞協会賞受賞。著書に『侍従長の遺言』『天皇家の宿題』。監修に『徳川義寛終戦日記』『卜部亮吾侍従日記』など。

岩井克己の新着記事

もっと見る