墓守のいない無縁墓が増える一方で、単身で頼める大覚寺の納骨堂も
2016年01月05日
‘お墓のない人生ははかない人生どすなぁ’
京都の人なら誰でも知っている墓石コマーシャルの名文句である。
京都には3000以上もの寺院があり、街なかの至るところに墓地がある。繁華街であっても、建ち並ぶビルの裏側には墓所がひろがる。
古くから京に暮らす人々は、春秋の彼岸、お盆はもとより、ことある毎に墓参りにゆく。通りすがりに墓参の人々を見かけると、唯々すごいなぁと感心する。何の関係もないこちらまで、なんだか背筋が伸びる清々しさで、畏敬の念に打たれる。
というのも、ふとどき者の私にとっては墓参があらたまった特別なものになっていて、年回忌の法事にやっと機会を捻出する、稀なることになっているからである。それに対して京都で盤石な暮らしをしている家々は、日常の当然事として先祖に花を手向ける。
その京都にあっても、墓守のいない無縁墓が年々目立つようになってきた。名刹古刹の取材の際、ふと墓地に目をやると、古びて崩れかけた墓石や、見るからに無縁になって棄て置かれた墓が一画に溜まっている。寺のほうでもその処置に難儀しているという。
私自身、京都に墓所を持とうと名だたる寺を訪ね歩いたことがあるが、みごとに断られた。いくら墓地があっても分譲してくれない。金額の問題でもない。重要なのは、その人の家族構成なのである。後を継ぐ人がいるか否かが判断基準となる。核家族、単身者が増えて、お墓を維持することも、新たにつくることも想像以上に難しくなっている。
納骨堂と聞けば、銀行の貸金庫のように無味乾燥なイメージを抱いていたのだが、そこは地階にあっても天井から陽光が差し込み、それがまるで現世と来世をつなぐ光の道のように見える。美術館のような空間で、そこに安置されている各納骨壇は、漆塗りの扉に美しい草花が描かれている。一見するとお洒落な仏壇が並んでいるみたいである。
「この頃は、住宅事情も変わり、仏壇を置けないご家庭も多い
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