やめたのは欧州や南米、死刑を発表するのは米国と日本、執行が多いのは中国や中東
2016年02月08日
これは、法的な「制度論」について考える場合にはいつでもいえることだが、死刑について考える場合にも、ミクロ的な見方だけではなく、マクロ的な見方も必要である。それが議論の大前提だと思う。
法は、人間の行動を規整するための規範、仕組みであり、自由に対する拘束(刑罰等)という要素を含むが、そうした拘束については、適切に、また、できる限り謙抑的に行使されなければならない。これが近代法の大原則だ。
そうした議論の典型的なものが「それなら、あなたの家族が殺されても平気なのか? その殺人者が死刑にならないほうが幸せか?」という言明だ。
この言明のレヴェルが、たとえば、「日米安保条約強化のための安保法制を認めないなら、中国に占領されてもいいのか? 北朝鮮からミサイル攻撃を受けてもいいのか?」、あるいは、「原発を再稼働しないなら、日本経済が疲弊してもいいのか?」などといった言明とあまり変わりのない、感情的、近視眼的で、かつ、論点のすり替え、論理的な欺瞞をも含む言明であることは、おわかりいただけるのではないだろうか。「自分の家族が殺されたら相手を殺してやりたいと思う人々でも、制度としての死刑には反対である」ことは、十分にありうる。
そのことを証するのが、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、南米等の国々、また、アメリカでも19州とワシントンD.C.、さらに本土外の5自治領で死刑が廃止されているという事実だ。これらの国々を中心として死刑廃止条約(死刑廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際的規約第2選択議定書)が、1989年12月に国連総会で採択され、1991年7月に発効している(なお、日本は反対票を投じている)。
現在、死刑の執行が多いと考えられている国についてみてみよう(「考えられている国」というのは、正式な発表が行われている国はアメリカと日本くらいだからだ。つまり、死刑の数が多いというのは、国家としても、誇るべきことではなく、一般的には、むしろ隠しておきたい事柄なのである)。
ダントツの1位が中国であり、これに、イラン、イラク、サウジアラビアといった中東諸国が続き、次がアメリカ
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