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「谷間の世代」を頂点に導いた手倉森監督のツボ

リオ五輪出場を決めたサッカーU23日本代表での怒らない指導と練りに練った言葉

増島みどり スポーツライター

サポーターの前で優勝カップを掲げる手倉森誠監督=2016年1月30日、カタール・ドーハ拡大サポーターの前で優勝カップを掲げる手倉森誠監督=2016年1月30日、カタール・ドーハ
 1月31日深夜、カタール・ドーハで3週間続いた、サッカーのリオデジャネイロ五輪予選を兼ねたアジア選手権からU23日本代表が羽田空港に到着した。五輪出場権をかけた準決勝では、この年代として一度も勝ち星をあげられなかったイラクを2-1で下して6大会連続出場を達成。さらに決勝では、0-2から、やはり勝てなかった韓国に逆転勝ちでアジア選手権制覇も果たす。最高の結果で帰国した選手、手倉森誠監督(48)らを、日付も変わろうとする到着ロビーで出迎えたのは、数百人ものファンと20台近いテレビカメラ、メディアだった。

 「うれしいも何も、そもそも熱烈に見送られることさえそれほどなかったんでね」

 国際大会では負け続けた世代を2年間率いてきた手倉森監督はユーモアたっぷりにこんな話をしていたが、サッカー界で「谷間」と呼ばれた世代を象徴していたのかもしれない。

 出発した1月2日、成田空港で見送った日本サッカー協会の新会長・田嶋幸三(現副会長)も「メディアの皆さんももっと来るのかと思ったのに」と肩すかしに苦笑いしていたほどである。国際大会の経験不足、1カ所で全日程を消化する集中開催の難しさから、1996年アトランタ以来続く五輪出場が途絶えるのではと不安視されたチームは、3週間後、見違えるような逞しさと国際大会での厳しさを収穫に熱烈な歓迎を受けた。

 時間が遅かったとはいえ、帰国時も実に落ち着いた様子で、現地での優勝記念撮影で一番はしゃいでいたのは監督。全員で監督を胴上げしたのもぴったり3回で撤収した。

 「おい、もうちょっと熱く、3回以上できんのか!」

 監督はそう笑いながら叫んだという。

谷間の世代は会社員ならスマート家電型新人の世代

 サッカーの五輪代表は23歳以下と限定され、今回は93年1月1日生まれ以降で構成されるチームとなる。企業でいえば、まさに昨春入社したばかりの新人たちの年代だ。人材採用の大手、「エン・ジャパン」が昨年、新入社員への独自の調査によって発表した傾向によれば「スマート家電型」だそうである。ひとつの傾向に過ぎないが、その分析は、歴代の日本代表を取材した経験と照らし合わせても、なかなか面白い。この世代といえば、96年のアトランタ組から始まり、いつもどこか生意気で野心に溢れ、やんちゃ坊主たちの集まりだった。

 「デジタルネイティブ世代でもあり、得られる情報量が多く、直感よりも多角的なデータ・情報をもとに判断することが多い。室内環境や使用電力量などを分析して「家事・家計のムダを削減するスマート家電」のようなタイプといえる。物事を考える際は、自発的にアイデアを生み出すのではなく、事実やデータをもとに論理にかなっているか意識する傾向がある」(同社分析の抜粋)

 キャプテンを務める大黒柱の遠藤航(えんどう・わたる 浦和)にこんな質問をした。

 「五輪本番では、アトランタでブラジルを倒したような金星を狙いますか?」

 遠藤は少し困ったような顔で言った。

 「あっ、あんまり詳しく見ていないんで・・・・・・」

 周りの記者が気を使って、「遠藤君は93年生まれだから(96年は)まだ3歳ですよねぇ、無理もない」とフォローしたが、なるほど、伝説の試合だって直感で適当に回答するより、データや情報で分析をする傾向がかいま見えたようで小さく笑ってしまった。

 「そうだといいですね」とか「まだ先のことは分からないんで」といった答えではなく、「良く知らないんで」とは新鮮だった。

 遠藤は、初招集された2年前のチームの特徴を「おとなしい。盛り上がりに欠けた」と振り返る。おとなしく、盛り上がりに欠ける選手たちを、ここまで闘争心を持って結束したチームに育てたのは、教員志望で「金八先生になりたかった」となかば本気で話す青森出身の指導者だ。

一言にも手間をかけて指導する

 チームが成長をしたのは「勝てない間の反骨心が目覚めたから」と監督は言う。一方で、「怒ったり、ダメだなと頭ごなしに言うのは絶対にやってはいけない。こうやれ、ではなく、こうしたほうがお前の持ち味がより活かせるぞ、何故ならば・・・・・・と、言葉に手間をかけないといけない」と、まさに情報による分析指導を指導のツボ、と明かした。

 チーム結成時、中東で合宿をすると、ピッチが悪い、食事が口に合わないなど不満がプレーに影響を及ぼす。そうしたなかで、監督はピッチの戦術以前に、選手を鍛えた。あえてバングラデシュなど環境が整備されていない地域で合宿を行い、監督自身が仙台の監督時に「被災」した東日本大震災での体験、被災地の苦労をミーティングで話す。

 帰国した日、「監督のルーティンは何でしたか」と聞かれ、ひとつは「どっしり構えている様子を強調するためにメシをたくさん食いましたね」とし、もうひとつは全く予想外の回答をした。

 「自分の言葉が選手のモチベーションを削がないかをよく考えながら、ミーティングでかける言葉や話し方の練習を1人でしていました」

 質問者にしてみれば

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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