前近代で死刑制度が長期間行われなかった日本は世界でも稀有な存在だった
2016年04月06日
なぜ、日本では、世界の趨勢に逆行して、死刑存続の方向、厳罰化の方向へと世論が動いてきているのだろうか?
すでに記したとおり、おそらく、近年、残虐で凄惨な殺人事件が日本でも目立つようになってきたということが、その大きな理由なのだろう。
しかし、日本における他殺者の人数についてみると、1947年から2014年までで2013年が最低、2014年が2番目であり、また、2014年の人数は357人であって最も多かった1955年の2119人の約6分の1にすぎず(厚生労働省「人口動態統計」)、殺人発生率は、世界でもほぼ最低のレヴェルなのである。つまり、この点で、アメリカとは全く事情が異なるのだ。
そして、前記のような世論を先導し、追認している日本の刑事司法はといえば、「人質司法」による冤罪の問題等で海外からの批判も強く、国連においても「中性並み」と批判されるような状況なのである(『ニッポンの裁判』66頁、107頁)。
また、日本人が昔から厳罰志向の民族だったというわけでもない。
平安時代には、嵯峨天皇が818年に盗犯に対する死刑を停止して以来、死刑の範囲が縮小するとともに実際に執行されることがなくなり、やがて全面的な死刑の停止が先例(慣習法)として確立され、その後、1156年まで、約340年もの長きにわたって、全国的に平時死刑は廃止され、京においては平時・戦時例外なく死刑執行は停止されていた。
前近代においてこれほど長期間死刑が行われなかった例は、世界史上ほかに存在しないという。私は、この先例について、日本が世界に誇ってよいことの一つではないかと考える。
私が子どものころ、多分小学校中学年くらいのことだったと思うが、当時人気のあった『七人の刑事』というテレビドラマ(TBS)の一話に、こんな話があった。
「記憶喪失になった男が、ただ、『死刑廃止』のみを訴え続けているため、殺人事件の容疑者ではないかとして捜査が行われる。しかし、実は、男は、死刑の執行に当たる法務省の役人であり、その仕事の重圧から記憶を喪失してしまったことが判明する」というものだ。
子どものころの記憶だから細部は誤っているかもしれない。しかし、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください