尼崎連続変死事件 主犯が自殺し「従属的な役割」と主張し軽くなった親族の一審量刑
2016年02月18日
2月12日に神戸地裁で開かれた、角田瑠衣被告に対する裁判員裁判の判決公判で、懲役23年(求刑懲役30年)の判決が言い渡された。
瑠衣被告は、事件化されただけでも死者数が8人に上る「尼崎連続変死事件」の主犯・角田美代子元被告(当時64=留置場内で自殺)の義理の娘。瑠衣被告は5つの事件で、3件の殺人、さらに死体遺棄や監禁罪など、計9つの罪に問われていた。
美代子元被告を頂点とした「角田ファミリー」という戸籍上の家族たちが、それぞれの親族の家庭に踏み込み、ときには第三者の家庭をも巻き込んだ一連の事件では、瑠衣被告の他に6人の元被告の親族などが一審を終え(うち2人が控訴)、この判決が一審では最後のものとなった。
判決が下された順に結果を記すと、美代子元被告の長男・角田優太郎受刑者に懲役17年(求刑懲役25年)。死亡した仲島茉莉子さんの夫・仲島康司受刑者に懲役15年(求刑懲役20年)。元被告の義妹・角田三枝子受刑者に懲役21年(求刑懲役30年)、元被告の養子で長男・角田健太郎受刑者に懲役21年(求刑懲役30年)、元被告の内縁の夫・東頼太郎被告に懲役21年(求刑懲役30年=控訴中)。さらに元被告の義理のいとこ・角田正則被告に無期懲役(求刑無期懲役=控訴中)となっている。
これらの結果を見てもわかる通り、8人もの死亡が事件化されたにもかかわらず、死刑求刑事案は1件もない。下された判決も、3件の殺人など計10の罪に問われ「元被告に次ぐ立場」と公判で裁判長に位置づけられた角田被告への、無期懲役がもっとも重いものだった。また、その他の被告については、概ね求刑の7掛けの懲役に落ち着いた。その点では、凶悪事件の厳罰化が進む現在においては、比較的に軽い判決だったといえる。
とはいえ、こうした結果になるであろうことは、2012年12月12日に美代子元被告が兵庫県警本部内の留置場で自殺したことから、ある程度予測されていた。
すべての犯行のキーマンだった元被告が死亡したことにより、その他の被告全員が自身の犯行について「従属的な役割だった」と主張したのである。それはまさに「死人に口なし」を地でいく流れだった。
振り返れば、この「尼崎連続変死事件」は、警察がきちんと対応していれば、被害がここまで広がることのない事件だった。
拙著『家族喰い-尼崎連続変死事件の真相-』(太田出版)にも記したが、判明した限りでいちばん早い警察への駆け込みは1998年3月のこと。美代子元被告の伯父の妻が病死した際の葬儀に因縁をつけ、その親族を兵庫県尼崎市内で軟禁状態に置いていたときである。そこで妻の娘である60代の女性Aさんが虐待を受けていることを見かねた隣人が、警察に通報。警察官がやってきたのだ。
しかし、そこでは玄関先からいくら呼びかけても、Aさん本人が自発的に家屋から出て来なかったため、警察官は引き揚げた。元被告の指示でAさんは翌日には別の場所に移動させられ、その1年後に、共同生活を強要されていた同県西宮市内の団地で死亡した。
また、Aさんやその親族とともに軟禁状態にあった、西宮市の40代の男性親族Bさんは、98年中に3回にわたって兵庫県警に被害状況を訴えたが、親戚どうしの揉め事として「民事不介入」を理由に、事件化されることはなかった。
続いてもっとも大きな機会を逸したのが、2000年1月から2月にかけてだ。美代子元被告の恐怖支配に耐えかねたBさんが、元被告に窃盗を持ちかけて一緒に犯行を重ね、自身が自首することで元被告を逮捕させようとしたのである。そして実際にBさんは同年1月には兵庫県警に自首し、それにより元被告を含む関係者も、翌2月には窃盗容疑で逮捕された。
この際、Bさんは元被告の暴力による支配やAさんともう1人の親族が不審死していることも訴えたが、起訴は窃盗罪のみにとどまり、
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