磐田・名波、福岡・井原ら期待を担う名選手だった日本人監督
2016年03月01日
Jリーグ23回目のシーズン開幕は、これまででももっとも早い2月27日となった。昼間のキックオフとはいえ、まだ肌寒い時季にもかかわらず各スタジアムはサッカーの「正月」を待ちかねたサポーターたちでほぼ満員となった。
名波浩監督(43)が、不振にあえぐ古巣クラブの監督を引き受けたのは2014年秋。昇格を託されたがその年はプレーオフで敗退し、昨年、初めてシーズン通して指導をやり抜いた結果、J2での2位となり昇格を果たした。直後から、J2時代にはなかなかさばけなかった年間シートが飛ぶように売れ、グッズ販売も右肩上がりの曲線を描き始めた、とクラブの事業担当はこんな風に喜ぶ。
「クラブ生え抜き監督の就任が大きな期待感につながっています。監督自らがスポンサーめぐりや、地域、学校とのつながりを強くするために動いてくれた結果だと思う」
現役時代には、左利きの独特なサッカー観でファンを魅了し磐田の黄金期を構築。日本代表でも、98年、日本が初めてW杯出場を果たしたフランスW杯にも出場した後、イタリアのベネチアに移籍し、中田英寿(当時ペルージャ)と、セリエAで初の「日本人対決」を叶えたサッカー界のレジェンドでもある。自身初のJ1での指揮は、白星とはならなかったが(名古屋に0-1)、2年もJ2で低迷していたクラブとは違う、攻撃的な姿勢、可能性は十分に示す開幕戦となった。
開幕の日、九州ダービーの一角、サガン鳥栖対アビスパ福岡が行われ、J1で常にコンスタントな成績をあげる鳥栖が、2-1で福岡を振り切った。この試合で福岡の指揮を執った井原正巳監督もまた、名波監督とチームメートとしてフランスW杯に出場し、予選から全試合でキャプテンを務めている。日本代表が、重く高いW杯の壁を突破した97年の、アジア最終予選(ジョホールバル)から19年後の今年、井原、名波両監督がピッチに監督として帰って来る。
97年のアジア最終予選の死闘の詳細はここでは触れないが、今では「世界最速」「史上最短」で、アジア予選を勝ち抜きW杯出場を決める日本代表が、当時は、32カ国中、ブービー(31番目)で本戦にたどりついた事実は、その厳しさ、当時の日本の力を示すものだろう。
W杯経験者が監督となったのは、10年の相馬直樹(当時町田FC)が最初である。相馬監督はその後、J1で川崎フロンターレの監督も歴任しており、監督キャリアはもっとも長い。次に監督となったのは、鹿島アントラーズで日本代表の守りの要ともなった秋田豊だった。10年に京都サンガのコーチから監督に昇格している。
フランスW杯では副主将を務めた山口素弘(現在日本協会技術委員会)も、古巣、J2の横浜FCで監督を務めた。今年、2人が同時にJ1監督を務めるのは、19年間の国内リーグの隆盛が実らせた「収穫」のひとつだろうか。
井原監督は、
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