共生社会の形成に貢献できる「手話言語法」の一日も早い制定が必要!!
2016年04月05日
「共生社会」という言葉があります。この言葉は「障害のある人もない人も、老いも若きも、男性も女性も、肌の色の違う人も、みんな違って良い、みんな違って当たり前、みんなが共に生きることのできる社会」を意味し、わが国を含め世界の多くの国が批准した国連の「障害者権利条約」の理念として出てきた言葉です。その条約の第2条の定義に「言語とは音声言語、手話及び他の形態の非音声言語等をいう。」とあります。これを受けて、日本の障害者基本法第3条に「言語(手話を含む。)」が入りました。法律の条文に「手話は言語である」と解釈できる言葉が入ったのはわが国の法制史上、画期的なことでした。共生社会の実現には、音声言語以外の手話言語など多様な言語を認めることが欠かせません。
それまでは、言語と言えば、単一民族主義の影響もあると思いますが、日本語のみを指し、手話は「手真似(てまね)」と蔑まされ、言語とみなされてきませんでした。そのため、耳の聞こえない子どもたちが集うろう学校では、日本語獲得の支障となるものとして手話の使用を禁止し、残存能力を活用し、口の形を読み取る、いわゆる聴覚口話法による教育が長い間、続いてきました。今では多くのろう学校が日本語のコミュニケーション手段として「手話」を活用するようになってきましたが、言語としての手話を獲得し教育するシステムを取り入れているのは一部のろう学校のみで、ほとんどのろう学校ではいまだにとり入れられていません。しかし、言語学、教育学、コミュニケーション学の世界では、手話は言語として認知されてきており、言語としての手話を理解する人が増えてきています。
手話を言語とする認知が進んできているものの、わが国では教育現場で手話を言語として獲得する環境整備だけでなく、労働、医療等の生活場面での手話を使用する環境の整備は著しく遅れています。例えば手話を第一言語として使用するろう者のほとんどは、手話を使用する機会がない状態で働いています。雇用のための面接や就職後の職員会議の場で手話通訳者が同席することは極めて稀です。また、諸外国では報道等のテレビ番組に手話が挿入されることが多くみられますが、わが国ではごくわずかです。
欧州では、手話言語を憲法や単独法として規定している国が数多くあります。欧州のほとんどの国は少数民族と共存しており、長い歴史をもつ少数民族の言語を保護する政策と共に発展してきました。欧州では手話言語を法的に規定することにほとんど抵抗がなかったのは、少数民族語への理解があることが大きかったと言えます。わが国では「アイヌ語」や「琉球語」を保護する政策がほとんどみられません。日本語以外の言語を政策的に取り込むという意識がほとんどなく、このことが手話言語法の制定を阻む大きな要因となっています。
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