最新のパフォーマンスをライブショーに取り入れる鮮度と社会派としての表現力
2016年03月31日
圧巻。10年ぶりとなるマドンナのコンサートを表現するとしたら、このひと言につきるだろう。2時間の遅延で帰れなくなった人が続出したとか、安室奈美恵が来ていたとか、内容以外の話題が先行してしまったが、コンサートではなく極上のショーと表現したくなる約2時間の公演は、観た者に「つべこべ言わせない」迫力があった。(ちなみに、アジアツアーの最終地オーストラリアでは3時間遅れでマドンナも“会場に早く来て欲しくない”とコメントを出したとか)
初来日公演となる1987年の後楽園球場から今回まで、すべて見ている彼女のコンサート。昔と今で変わったこと、変わらないことを考えてみた。そうすると、現代のエンタテインメント事情そして、稀代のパフォーマーの個性が浮き彫りになってくるようだ。
87年の後楽園公演では、当時のマドンナのような黒ずくめの格好をした女の子があちこちにいた。しかし、今回はコスプレをしている人はほとんど見かけなかった。アーティストのマネをする、という行為を楽しむことは卒業してしまったのだろう。逆に親子連れが目立った。
親子連れは多くの場合、親が子どもの付き添いとなるケースだが、今回は親に子が付き合っていたのではなかろうか。客席のノリが大人しかったのも、高年齢化の影響があるだろう。また、少ないながらいた若者は、本来なら盛り上がりを牽引するはずだがスマホでの動画撮影に忙しそうだった。
日本での公演では前回となるConfession Tour では、巨大な舞台装置がおかれ、移動アミューズメントパークのような雰囲気(公演のひとつのエレメンツであったディスコの巨大版というか)は少なくなったが、その分“動く”大道具を増やし演出が柔軟になった。
実はマドンナは最新のパフォーマンスを自身のライブショーに取り入れるのが早い。猛烈に早い。たとえば今回であれば、昨年公開されて話題となった映画『マッド・マックス 怒りのデスロード』にて
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