六代目山口組と神戸山口組、それぞれの組員たちが語る困惑と厳しい日々
2016年04月07日
ヤクザの世界では、親分の盃を受けた子分の方から、そのつながりを断つというのは、逆縁とされあってはならないこととされている。
だが、そうはいっても、実際の力が筋を作っていく、というのもまた事実。力こそ筋、という世界なのだろう。
神戸山口組側はなんらかの勝算があり、それに賭けたというべきか、それとも破れかぶれだったのか。実際のところ、いろいろな観測はあるだろうが、本稿ではそこについて触れない。
わが国の成熟した市民社会において、今なお残る民間暴力組織。いったいになぜ無くならないのか。考え出すとキリがない。
ここではまず、六代目山口組と神戸山口組とヤクザの「神話」、そして「夢」について考えてみることにする。
ヴァルター・ベンヤミンという思想家がいる。彼の『暴力批判論』によれば、法と秩序を作り出す暴力には法措定的暴力と法維持的暴力の二種が存在する。秩序を作っていく暴力と秩序を維持する暴力。わが国内部に存する「独立武装勢力」と言っていい暴力団、六代目山口組のこれまでの行為は、暴対法、暴排条例といったヤクザに対する締め付けのなかで、法維持的暴力=秩序を維持する為の暴力にリソースの多くを割いており、今回の分裂もその方向性に対する不満があったとわたしは見ている。傘下組織に対する高い上納金に、参勤交代と見まがう制度、ミネラルウォーターや歯ブラシの半ば強制的な購入などがそうである。
一方、それに抗して、新たな秩序を作り出そうとする前者、法措定暴力に賭けているのが神戸山口組だ。
ヤクザの世界も、決まりごと、筋でがんじがらめになっている=つまり、法維持的暴力が、一般の世界以上に強く打ち出される世界だが、だが一方で法措定的暴力、新たな秩序を作り出す暴力のエネルギーを「神話」として持ち、維持している世界でもある。
たとえば、三代目山口組が戦後の神戸から拡大し、全国的な組織に成長していったプロセスを考えると良いだろう。
大阪、西日本、そして北陸、北海道へと勢力を拡大していったプロセスだ。
神戸山口組は、結果的にかもしれないが、ヤクザの神話=実力のある者が切り取り放題で組織を拡大していく、ということがらに対して忠実であるように見える(単なる結果論かもしれないが)。
ヤクザが持つ、法措定的暴力の「夢」が神戸山口組を動かす主観性として存在するのかもしれない。
また、ヤクザの大規模分裂と社会の動きのリンクもある。ヤクザの構造変化と日本経済の構造変化の関係なども、考えると興味深い。
プラザ合意からバブルに向かって、金融資本の力が増大する時期に山一抗争が発生し、また金融資本の増大化と実体経済の縮小、という時期に今回の山口組分裂が発生している。
既存の社会秩序が組み変わるさいには、裏の社会、ヤクザの世界も連動して大規模な変動が起こるのかもしれない。
国家の側の対応も、例えば高度成長期の頂上作戦、山一抗争時の対応、その後の暴対法から暴排条例への流れに連なる過程があり、それぞれ暴力団を締め付けるにせよ、その在り方は違う。
一貫して国家暴力を背景にヤクザに対してはその有り様をコントロールし、ヤクザが痩せ細る方向でヤクザをコントロールをするようになっていった。
国家による締め付けと不況は実際、ヤクザが「食べる」ことに対しても随分とダメージを与えていると聞く。その中で、ヤクザの「神話」と「夢」が神戸山口組を動かしていると見ることもできようか。
とはいえ、ヤクザの未来は厳しいものになるだろう。食べていくのは厳しいこととなるだろう。
わたしが聞いた実際の六代目山口組、神戸山口組組員たちの声を列挙したい。
「組員を続けても、辞めても俺の生き方は変わらない」(六代目山口組系組員40代)
「(分裂直後)昨日山口組だったもんが神戸に変わってた、よう分からん状況や」(六代目山口組系組員50代)
「下は神戸に行きたくても親のしがらみで行けん」(六代目山口組系組員50代)
「(大阪では)ガキからおばはんまで分裂が、山口組
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