熊本地震での被災と非常時のコミュニケーション
2016年04月27日
ふらり、と現れた彼はまわりにいた知り合いに次々に声をかけ、「明後日また来るから」と言って帰っていった。自然光がたっぷり入るその場所は、彼の自由な行動によってさらに明るくなったようだった。手にしていた「サバイバル登山家」という本を「あぁ、プレゼントすれば良かったな」とぼんやりと考えたりしていた。まさか、数時間後にこんなことになるとは知らずに。
14日夜、熊本で巨大地震が発生。坂口さんは東京での予定をすべてキャンセルして帰郷し、16日未明にはマグニチュード7.3の本震で被災する。そして避難所生活から妻の実家へと避難する様を現代ビジネスに寄稿し、瞬く間にページビューを増やしていった。
福岡を経由してまた関東へと戻ってきた彼に取材をしたいと申し出たのが20日で、翌21日に会うはずだったが、電話でのインタビューに変更した。
「16日の本震の後、近所の小学校に家族と一緒に避難をしました。不安もありましたが、小学校というのはそもそも共同で何かをする場所であること、見知っている場所であることから、結局ここに一時、身をおくことにしました。けれど避難所というのは知らない人たちがほとんどなんのルールもなくそこで過ごすわけで、いわゆる共同体とはなっていません」
「そこでは上手くやっていける人とそうでない人がいるんです。例えば人づきあいが上手で気が利く人、コミュニティーづくりが上手い人など。そうでない人が避難所で暮らすのは難しい。自分はひとりで本を読んで原稿を書き、歌を歌っていたいタイプ。そういう人間には、避難所での生活は息苦しかったし、事実若い男性が避難所で働いていないということへの、無言のプレッシャーのようなものも感じていました」
そう言う彼の声に子どもの声が重なり、音楽も聞こえてくる。「今はね、思い切り甘やかせているんです。子どもたちには好きなだけDVDを見ていいよ、って言ってる」
不安と恐怖によって負った傷を癒やすことが今は第一。一家の主はそう考えているのだろう。
「熊本にいる人たちも今は気が張っているけれど
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