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「自由の危機」に直面する日本メディア

欧米メディアの歴史に学び、「圧力に対する抵抗力の弱さ」を克服せよ

柴山哲也 ジャーナリスト

 戦後70年を経た日本のメディア界は、空前の自由の危機に見舞われている。

 特に高市総務大臣の電波停止発言が危機の引き金を引いたかに見える。「政治的公平性」を欠くテレビ報道は放送法4条に違反し、「停波の可能性」との発言は、テレビ界と与党の間で長年燻っていた問題が、国会という舞台で炸裂した観があった。

「報道の自由度ランキング」では世界72位に転落

 おりしも毎年公表される「国境なき記者団」(本部・パリ)による世界報道の自由度ランキングで、日本は180カ国中の72位に転落した。昨年の61位からさらにランクを落とした。アジアでは台湾54位で、香港、韓国にも負けている。

 古舘キャスターらが降板した後のテレビ朝日コメンテーター氏は「そんな実感はない」と語っていたが、白々とそう言わしめるあたりが、病の深刻さを物語る。金融機関のランクと同様で信頼度に疑義を唱えるのは自由だが、こうしたランクの判定にはインタビュー調査やメディア経営の実態調査等を数値化して作成するので、一定の客観的合理性はある。

 民主党・鳩山政権時代には記者クラブ開放や外務省資料公表の透明化等の試みがあり、2010年度のランクは11位の高さを誇ったことがあった。民主党政権は何かと不評続きではあったが、こうしたプラス面もあった。ランクが一挙に落下したのはやはり安倍政権発足を契機にしている。

デービッド・ケイ氏報道陣の取材に応じるデービッド・ケイ氏=東京都千代田区
 日本の報道の危機を国連も重視し、「表現の自由」国連特別調査者としてデービッド・ケイ氏(カリフルニア大学アーバイン校教授)が4月に調査来日した。もっと早期の予定だったのに日本政府が難色を示し訪日が遅れたのだが、日本側には余程知られたくない事情でもあったのだろうか。

 ケイ氏は日本政府側関係者も含めかなり綿密なインタビュー調査をしている。日本のメディア関係者の多くは匿名を条件にインタビューに答えたというが、日本外国特派員協会の記者会見でケイ氏が特に指摘した問題点は、「特定秘密保護法」に関連するものだった。

日本で強まる報道規制と表現の自由の危機-デービッド・ケイ教授が訪日記者会見で語る

  「特定機密保護法」は国民世論の最も関心の高い安保関連法や原発報道に対してメディア側に自己規制を強いている。また内部告発者を守る法的基盤が弱く、良心的な内部告発者が罰せられる危険があり、国民の知る権利の侵害が大きな懸念材料という。

政治的公平性を判断するのは政府の仕事ではない

 また高市総務相の「停波」発言に関してケイ氏は、「政治的公平性」を判断するのは政府や権力側の仕事ではないのに、放送法では政府が判断して電波停止ができるようになっている。放送法4条は廃止すべきだと指摘した。

 もともと放送法はGHQ占領下に日本の報道の自由を守るために出来た法律で、その基盤は「放送の政府からの自由」である。政府は報道の自由を侵害してはならないという法の理念が、日本が独立国になった時点で、放送事業の管轄が郵政省に帰属し、政府が放送に介入できる法律に化けてしまった。日本の放送の自由は占領下よりも後退したことになる。

 とはいえ公共の電波は国民の財産だから、誰かが自分の利益のために電波を独占使用する不公正は避けなければならない。ケイ氏は政府ではない第三者による電波監理の公正な仕組みの確立を促している。

 実はこの第三者による電波監理の仕組みもGHQ時代の日本では作られていた。アメリカの独立行政法人FCC(連邦通信委員会)をモデルにした電波監理の組織で、1940年代にナチスドイツが台頭したときヒトラーはラジオを宣伝の具にしたので、アメリカはこれに危機を感じ、電波行政を政府権力から切り離したのである。

 FCCは世界の民主主義国の電波監理の仕組みのモデルになっており、韓国では最近、韓国版FCCが設置された。先述した鳩山政権時代には日本版FCCの試みが模索されたが、既得権益を持つメディア側の反対等でとん挫したというが、韓国で出来たものがなぜ日本では出来ないのか理解に苦しむ。

問題はメインストリームのメディアにある

 ケイ氏によれば、日本はアジアの中では比較的言論の自由は守られている。インターネットの草の根の言論状況には問題はなく、政府の介入も行われてはいないと見る。

 問題はメインストリームの巨大なメディアにあると、ケイ氏はいうのだ。

 NHKの籾井会長は「原発報道は公式発表をベースにせよ」と発言したが、戦時下の「大本営発表」しか書くなという軍部の話と同レベルの発言だ。就任時にも「政府が右というものを左とはいえない」と記者会見で発言している。いくら安倍政権が送りこんだ会長とはいえお粗末すぎるのだが、日本のメインストリームのメディアでは、政権と仲良しの幹部が現場の記者へ圧力をかけ、現場が自己規制して萎縮しているのではなかろうか。

 海外のベテランのジャーナリストに言わせれば、メディアは権力の暗部をつつくのが仕事だから、政府や権力と仲良くなどしてはいられない。どの国の政府もメディアに圧力をかけるものだと彼らは思っている。言論の自由が憲法で保障されているのに、「日本メディアは圧力に対する抵抗力が弱すぎる」と見ているのだ。

閉鎖的で特権的な「記者クラブ」

 その抵抗力の弱さの原因の一つに、日本新聞協会加盟社の会員等に入会資格が限定された閉鎖的で特権的な「記者クラブ」がある。3.11原発事故の時にも、外国記者やフリーランスは東電や経産省の記者会見への出席を拒否されたり不利な処遇を受けたりしたと聞く。原発事故のような国民の一大関心事が、戦前型の大本営発表につながる恐れもあるし、官庁や権力側が操作して選別したニュースだけが報道されやすく、視聴者は欺かれかねない。

 記者クラブを廃止せよと長年、内外で指摘されながら、廃止どころか籾井・NHK会長が「原発報道は発表情報をベースに」と語ったように、3.11以降の最近は、排他的記者クラブの統制はむしろ息を吹き返しつつある。

 ここで、約20年以上も前の話だが、筆者が朝日新聞の「戦後50年企画本部」というセクションに属して戦後50年のシリーズ特集記事を書いていた時代の経験を書いておきたい。

 筆者は宣戦布告なき奇襲攻撃といわれ、世界から「卑劣な日本」といわれ続けていた真珠湾奇襲の歴史の真実を知りたいと思っていたが、「最後通牒」として外務省が米国国務省へ送った公文書の存在はわからなかった。しかし「通告遅れ」は在米大使館の怠慢による暗号解読、翻訳、タイプなどの事務作業の遅れが原因という物語が作られていた。東郷外務大臣が自宅に秘蔵していたという文書にも大使館責任論が書かれており、雑誌『文藝春秋』にその趣旨の論文が掲載されたりしていた。

 しかし、大使館員の怠慢説は事実だったのか。直後に東京裁判を控えていた外務省関係者らが責任転嫁をはかったのではないか――等の疑問を筆者は持っていた。

 現代史研究者たちに取材すると、敗戦直後に外務省が真珠湾奇襲の顛末を大使館員らへの聞き取り調査したことがあり、その文書は外務省に存在するはずというので、筆者は外務省へ出かけて、担当の参事官にその文書について尋ねた。当初、外務省側は文書の存在を否定した。

記者クラブに頼らず、機密文書の公開を請求

 筆者は外務省霞クラブの会員ではなく、こうした機密文書の公開請求は記者クラブを通じて行うのが慣例だということで、文書の有無の確認すら難航した。

 そこで記者クラブには頼らないで公開請求をすることを考え、TBSニュース23のキャスターだった筑紫哲也氏に協力を仰ぎ、知人の文藝春秋社の雑誌の編集長にも頼んで、「朝日新聞戦後50年企画本部」「TBSニュース23」「文藝春秋」の3社の連名で外務省に真珠湾攻撃関連文書公開請求を筆者が代表して行った。

 こういう機密文書公開請求はとても変則的で珍しいことだったようだが、結局、外務省は文書の存在を認め、戦後50年の節目を期して文書を公開することに応じた。

 1994年秋、外務省は「対米宣戦布告」に相当する「対米覚書」と「通告遅延問題の『記録』」という2つの機密文書を初めて公開した。

 しかし公開は霞クラブで会員各社に対して行われ、特に請求者にたいするものではなく、霞クラブ会員ではなかった筆者らはこの発表にオブザーバーとして特別に招かれたのだった。

 本音をいえば「戦後50年企画本部」のスクープにしたかったのだが、

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