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無罪となった志布志事件の国家賠償訴訟の闘い

「まだ終わるわけにはいかない」。一審で請求を棄却された浜野博さんらの控訴審が開始

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 2003年の鹿児島県議選をめぐって公職選挙法違反の罪に問われた12人の被告全員が無罪となった志布志事件。無罪判決が出てから9年、さらに、元被告らが国と県を相手取った国家賠償請求訴訟でも、鹿児島地裁が捜査の違法性を認め、国と県に賠償を命じてから1年がたちました。世間的には一件落着したと受け止め、志布志事件は過去のことという認識が広まっているかもしれません。

  しかし、志布志事件はまだ終わっていません。

「なぜ、私たちがこんな目に遭わなければいけんかったのか」。その理由を知りたいと話す浜野博さん。栄子さん夫妻=鹿児島県志布志市拡大「なぜ、私たちがこんな目に遭わなければいけんかったのか」。その理由を知りたいと話す浜野博さん。栄子さん夫妻=鹿児島県志布志市
  鹿児島県志布志市志布志町の農業、浜野博さん(77)ら6人はまだ闘いの中にいます。

  「まだ終わるわけにはいかないのだ」

  浜野さんはそう言います。

  浜野さんらは志布志事件にからんで、毎日のように長時間の厳しい取り調べを受けました。逮捕も起訴もされなかったこの6人は、県警の取り調べによって心身に苦痛を受けたとして、県に損害賠償を求めて、10年前に訴えた人たちです。

 志布志事件では、県警は当選した県議と住民らが4回の買収会合を開いて計191万円を授受したとして13人を起訴(うち1人は死亡により公訴棄却)しました。しかし、買収会合そのものが開かれておらず、07年、全員に無罪が言い渡されました。

  浜野さんらの取り調べは、その志布志事件に絡んで行われたものです。一審の原告は7人いました。昨年5月15日に鹿児島地裁が、7人のうち3人には捜査の違法性を認め、計184万円の賠償を命じる判決を出しました。しかし、浜野さんら4人については請求を棄却しました。

  賠償が認められた3人のうち1人の男性は買収会合に参加したとして逮捕されました。起訴はされませんでしたが、一連の取り調べは違法だったとして鹿児島地裁が賠償を認めたため、彼は控訴をしませんでした。ほかのふたりは、浜野さんの妻・栄子さん(74)と川畑まち子さん(66)です。栄子さんは取り調べの中で窓から外に向かって「2万円と焼酎2本をもらいました」と大声で叫ばされたことが、川畑さんは取調官から机を激しくたたかれ、「外道」などと言われたことなどが認められましたが、不十分だとして、原告団長の浜野さんら4人とともに控訴しました。

  それから約1年。

  今年5月13日に控訴審の第1回口頭弁論が、福岡高裁宮崎支部で開かれました。この日、浜野さんは6人を代表して意見を陳述しました。

  「志布志事件発生から13年が経過し、私たちがこの裁判を始めてもう10年がたとうとしている。昨年5月15日の判決は、一部の捜査の違法性や取り調べの違法性について認めてくれた。しかし、日時の経過や記憶違いを理由に、私たち6人の訴えのほとんどを認めてもらえなかった。日時の経過に間違いがあっても、警察からされたことは、いまでも鮮明に覚えていて、苦しんでいる。私たちがされたことは異常な取り調べ、常軌を逸した取り調べであり、これ以上の屈辱と人権侵害はないと思う。私たちだけが苦しんだのではない。私たちの家族、親族、友人までも、みな苦しんだ。裁判所が、警察の捜査や取り調べの違法性を認めてくれなければ、だれが、私たちの言い尽くせないほどの苦しみを救ってくれるのでしょうか」

  浜野さんは時折、声を詰まらせ、涙をこらえながら語りました。

  浜野さんは、03年7月末に任意の取り調べで、金をもらったと追及されました。否認しましたが、捜査員に「それなら家族を呼んで徹底的にやる」と言われ、心が折れたそうです。結局、受け取ってもいない20万円をもらったことにし、配ってもいない金を1万円ずつ消防団員8人に渡したと認めました。当時、浜野さんは消防団長でした。

  一般的には、なぜ犯してもいない罪を認めるのだろう、と不思議に思うかもしれません。しかし、志布志事件も含めた過去の冤罪事件で、やってもいないことを認めるということは実際にあちこちで起こっています。決して特別なことではないのです。

  浜野さんの場合は、虚偽の供述をした3カ月前、妻の栄子さんが、志布志事件に関連して130時間を超える取り調べを受けました。栄子さんは歩けないほど衰弱しました。逮捕や起訴はされなかったものの、その影響は大きく、刑事や取り調べを思い出し、涙が出て手が震えるなどPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出ていたそうです。「再び調べられたら妻はもたない」。浜野さんは妻を守りたい一心で、架空の容疑を認めました。

  昨年5月15日の一審判決では、妻の栄子さんをかばって虚偽の自白をした浜野さんの請求は棄却され、かばってもらった栄子さんの請求は一部が認められました。その結果に、栄子さんの胸は張り裂けそうだったといいます。

  「父ちゃんは当時、何の罪もない消防団員の名前をあげた申し訳なさから自殺を考えるまで悩み、苦しんだ。父ちゃんの訴えを認めてほしかった」と栄子さんは振り返ります。

  「外道」などと言われたとして一部請求が認められた川畑さんも「みなやられたことは同じ。認められたのが3人だけで、しかも一部というのは納得がいかない。みんな厳しい取り調べに追い詰められて、死ぬ思いをして自殺まで考えたぐらいだ。あの一審判決では警察は何をやってもいいと言っているのと同じではないか」と言います。

  先日あった控訴審で、弁護団は、県警が具体的な嫌疑がない中で、志布志事件の捜査を始め、その中で虚偽の自白を得て、それをもとにさらに捜査を継続したと指摘、「捜査権限の著しい乱用で違法だ」と訴えました。取り調べの様態の違法性はもちろん、捜査そのものの違法性も主張しました。

  そういう意味では、志布志事件の捜査が何を端緒に、どんな具体的な嫌疑があって始まったのかは、いまもって闇の中です。事件そのもの、つまり買収会合そのものがでっち上げですから、そんなものはなかったのかもしれません。志布志事件を10年以上追い続けてきた立場からすると、こんな捜査がまかり通ることに空恐ろしさを感じるとともに、きちんとした検証と反省が行われていないことにはあきれ果てて、言葉も出ません。

  被害にあった浜野さんらは、「人を人とも思わない取り調べがあったことをただただ認めてもらいたいだけだ」と語ります。賠償金の問題ではないのです。浜野さんらが裁判を続けるのはそんなに簡単なことではありません。費用もかかります。弁護士との打ち合わせもあります。法廷にも出かけて行かなくてはなりません。それでも、「終わるわけにはいかない」と歯を食いしばって続けています。

  浜野さんは弁論後の記者会見で、こう訴えました。

  「意見陳述をしながら、当時のことが思い出して悔しさがこみ上げてきた。悔し涙で字がぼやけて見えなくなった。当時の取り調べのことが頭の中から離れない。ひとこと言いたいのは、自分たちにやましい気持ちが少しでもあれば、5000円でも1万円でも焼酎1本でももらっていれば、裁判なんか起こさない。我々は何もないから裁判を起こしている」

  逮捕も起訴もされていない浜野さんらが裁判に訴えるという意味がどういうことなのか、私たちは考える必要があります。今国会で刑事司法改革の関連法が成立し、裁判員裁判の対象事件と検察の独自捜査事件で、逮捕後の取り調べの全過程に録音・録画が義務化されます。しかし、任意の取り調べは義務ではありません。

  浜野さんらの取り調べは、「任意」の名のもとで行われました。選挙違反事件は裁判員裁判の対象事件でもありません。
つまり、浜野さんらの取り調べは可視化の対象にはならないのです。

  「完全な録音、録画が必要だ。そうじゃなければ、こういう事件はなくならない」

  苦しみ、闘い続けている浜野さんの言葉を、私たちはどう受け止めればいいのでしょうか。明日は私あるいはあなたが、浜野さんらの立場に追いやられるかもしれません。決して他人事ではありません ・・・ログインして読む
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筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

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