文科省は74もの法科大学院を認可した責任をどう総括しているのか
2016年06月07日
司法制度改革審議会は、2001年6月12日に「最終意見書」を小泉純一郎首相に提出した。「意見書」は法曹人口の大幅増員(20年以内に現在の倍以上の5万人)のために、法曹養成に特化した教育をおこなう法科大学院を2004年度から開設すべきだとした。
鳴り物入りでスタートした法科大学院だが、わずか12年で惨憺たる状況にある。新たな教育制度がこれほど短期間で「存続の危機」に陥ることなど、歴史に例をみないだろう。いったい、その要因はどこにあるのだろうか。
法科大学院構想は98年ごろから実定法を中心とする法学者のあいだで議論されだした。これが登場してきた背景は、たんに法曹人口の増員の必要性にあったのではない。国家試験のなかでも最難関試験といわれる司法試験受験者の多くは、受験予備校に通い過去問を素材とした受験技術のみを学んでおり、法曹としての素養や知識に欠けると指摘されてきた。
こうした状況は、大学法学部における民法や刑法、訴訟法などの実定法担当者からみれば、法学部教育の形骸化=危機と映る。この失地回復のために大学主導の法曹養成組織を必要とする声が高まった。また、経済界や弁護士界の一部からも、折からの経済のグローバル化に応えられる国際的視野と訴訟の学識をもった法曹の必要性が説かれた。
司法制度改革審議会の「最終意見書」を踏まえて、大学・大学院の設置認可権限をもつ文部科学省は、法科大学院の枠組みを定めた。法科大学院は少人数教育を徹底し法理論とケーススタディーによる実務教育をおこなうこと、教員配置基準は学生10人に教員1人とすること、法科大学院の教育課程は法学部卒業生については2年(法学既習コース)、それ以外の学生については3年(未習コース)とすること、などが骨格だった。
当時、私は立教大学法学部のスタッフだったが、さきの「最終意見書」を前後するころから、実定法学者たちのフィーバーぶりはすさまじかった。「法科大学院がなければ法学部の存続にかかわる」「バスに乗り遅れるな」とばかりに設置に「邁進」していった。こうした状況は他の大学でも変わらない。スタッフの引き抜き合戦が展開されるとともに、法科大学院のために新たな校舎を建築した大学も少なくない。
しかし、法科大学院に手を挙げた大学の多くは司法試験合格者を輩出した実績に乏しい。スタッフの多くも司法試験受験の経験をもっていない。受験予備校を蔑みながら
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