核軍縮に向けた具体的な構想と活動が必要だ
2016年06月02日
1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が投下されてから71年の年月が流れた。現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪れた。「歴史的」とまで言われるこの訪問の意義と課題について考えてみたい。
浜井信三・広島市長(当時)は「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」と述べている。つまり、すべての人が過ちの責任を負い、過ちを起こさないように誓う、というのだ。
今回の大統領の広島訪問に際しても、アメリカ大統領に「謝罪」を求めるべきかどうか、が議論を呼んだ。結局は、謝罪に触れることなく、「慰霊」のための訪問となった。「過ち」を犯した人をぼやかすのと同じように、原爆投下の責任を厳しく突き詰めることがないままに大統領の訪問は終わった。
メディアは「歴史的訪問」とはやしたて、オバマ大統領の広島訪問がまるで魔法の小槌のように平和を生み出してくれるかのように書かれる。違和感がある。おかしいと思う。
「過ち」を犯したのは誰か、という問いへの議論は複雑になる。戦争の原因について議論をしていくと非常に厄介な論争に入り込む。私が問いただしたいのは、「過ちは繰返しませんから」という言葉だ。
広島と長崎に原子爆弾を投下し、多くの犠牲者を出した後に、すぐにアメリカは核兵器を大量に作る体制を整えた。翌年には核実験を始め、ソ連とともに核軍拡競争と突っ走った。アメリカとソ連は、軍事大国として世界に君臨し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争など多くの戦争、紛争に直接的、間接的に関わり、多くの犠牲者を生んできた。到底、「過ちは繰返しませぬから」を実践してきたとは思えない。
1945年以降の時代は、核兵器を頂点とした軍事力が支配する世界となってしまった。確かに長崎以降には核兵器を直接使用したことはないが、多くの核実験で被曝者を生み出したし、キューバ危機の時のように核兵器の使用の可能性に触れたこともある。
今、オバマ大統領も含めて、慰霊碑の前で反省しなければならないのは、今だに多くの核兵器が存在し、軍事力による世界支配があり、戦争や紛争が絶えないことであり、誓わなければならないのは、こうした世界を変革し、原爆で亡くなった人たちが本当に「安からに眠る」ことができる社会の創造である。
戦後の核軍拡路線や多くの戦争への関わりを見る限り、アメリカが「正義と民主主義」の国であり、「世界平和を守る警察」とは思えない。アメリカは明らかに過ちを犯してきたし、
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