野の花診療所からのリポート
2016年06月28日
いろんな死がある。
戦地での空爆や自爆テロによる死。平和国家での自然災害死。自死。他殺。病死。老いによる死。平和の中で死の近くで働いて42年。42年前と今と、日本人の死への向き合い方に変化があったかと振り返る。大きな部分は変わらない、と思う。
がんに対しての手術、抗がん剤療法、放射線治療など進歩を遂げた部分はある。病名を言い予後を話し、余命について語り、死を迎えた人たちへの痛みやその他の症状コントロール、心のケア、スピリチュアルペインへ心配りできるようになってはきた。
多少の変化はあるが、多くの人が最終的には従容として死に向かう、という姿に変わりはないと感じる。死の本質につながる言葉の一つに、太古からの「従容」が存在するのだろう。「受容」ではなく「従容」。
ここに記すのは2016年の2月に死へと向かわれた人たちの短い記録。と、ぼくの感想。一人一人の病名、症状、はもちろん違うし、闘病期間は違うし、主訴も、痛み具合も違う。家族の形もそれぞれ違う。死へ至る経過は違うが、無事、死にたどり着かれた、という点は共通している。
83歳の女性である。
5年前からアルツハイマー病を患った。ディサービスへ通い、そこでのおしゃべりが楽しみ。長年の肺線維症、そこに肺がんが生じた。
服は自分で着られず、パジャマも洋服も区別できず。グループホームにお世話になった。意外にも溶け込めた。「ありがとうございます」と上品な声。手はゴソゴソして枕や布団の中身が室内に散乱。左半身麻痺。CTを撮ると、脳転移だった。
診療所に入院。寝たきり。「分かります。大すきな先生よ」と話される。ぼくは近くのホームセンターへ子羊のぬいぐるみを買いに行きプレゼントした。麻痺側の手の下へ置いた。
室内犬を連れて長男夫婦、毎日見舞う。横浜から娘さん、何度も帰ってくる。がんの末期なのに血圧を上げる薬を使ったり、蛋白質を補給したり、こちらも死を前に右往左往。
「おはぎ、私、すきです」「10歳年上の主人、大すきで、声かけたの私の方」「私、あとどれくらい生きられるんでしょう。もういいかも」などの言葉が放たれた。
2月1日午前4時37分、永眠。忘れられないことはカルテ番号が「3」だったこと。診療所の開設時からの患者さんであったこと。どんな苦境にあっても不思議な言葉「すき」を、やさしく口にし、途絶えなかったこと。
Tさんは77歳の男性である。
元高校教師。ヘビースモーカー。肺がんで胸水もたまり、呼吸困難がある。奥さんは14年前にがんで他界。子どもたちは県外に。ひとり暮らし、である。
「がんの末期になったらここに来る、って昔から決めてたんですよ」と柔和な顔で自分でおっしゃる。「でも、タバコ吸わせてね」とも。
病状は一日ごとに変化し、進展する。
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