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都市と都市の連携で「核なき世界」実現を(上)

秋葉忠利・前広島市長インタビュー

秋葉忠利 前広島市長

 原爆投下から71年、アメリカのオバマ大統領は現職の大統領としては初めて、被爆地・広島を訪問した。オバマ大統領は演説で、「核なき世界」を目指す決意を改めて語った。「核なき世界」を実現するため、我々が取り組むべきことは何か。長年、核廃絶の運動に携わってきた秋葉忠利・前広島市長に話を聞いた。(聞き手:竪場勝司・WEBRONZA編集部員)

秋葉忠利氏拡大インタビューに答える秋葉忠利氏

良識ある個人としての人類的視野での演説だった

――オバマ大統領の演説を聴いて、どのように感じたか?

 すばらしい演説だったと思う。最初聴いた時は少し具体性に欠けているという気がしたが、よく考えてみると、残された任期が少ない中で、具体的な話になると、それが実行できるどうかということを視野に入れなくてはいけない。演説を聴いて特に強く感じたのは、一人の人間として、良識ある個人としての人類的な視野での演説だったということだ。退任後に人類的視野から核廃絶のために尽力したいという決意表明としても、強い意志を感じた。

 2009年のプラハ演説に私は感動した。その時に思い出したのは、1986年のレイキャビクでのレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の会談。その時、2人の間では核兵器を全廃するという合意ができた。しかし、それは表にも出ず、実行されなかった。それを妨害したのは、両国の強力な官僚機構と軍産複合体。それに対抗するためには世界の世論が必要だった。そもそも公開されていない話だから、サポート体制をつくるのが難しかった。しかもレーガンはタカ派だと思われていたから、みんな期待をしていなかった。

 オバマ大統領のプラハ演説は公開の場で、「核なき世界を目指す」とはっきり言ったわけだから、世界の平和活動をしていた我々が強力な支援体制をつくらなくてはならない、彼が相手側に取り込まれないようにしなくてはいけないと考えて、「オバマジョリティー」という言葉まで作ってアピールした。しかし、残念ながら、マスコミと一部のアメリカ嫌いの人たちがつぶしてしまった。彼らの批判は「オバマを賛美していて、けしからん」。賛美するのではなくて、我々の責任として世論を高めていく運動をしなくてはならない。そのリーダーとしてアメリカの大統領が初めて「核なき世界を目指す」と言ったのだから、それは使わない手はない。でも、こうした曲解が元で、世界を動かす力が自分たちにはないと信じ込まされてしまっている多くの人々の無関心さとの相乗効果で、その体制はできなかった。

 今回もその教訓を生かす必要がある。彼が「核なき世界を目指す。そのためには核保有国も覚悟を決めて、恐怖に基づいた国際関係をつくることはやめよう」と言っている。世界の人たちが感じている理想をはっきりと述べてくれたことになる。それを実現するためには、「オバマさん、良いこと言ったんだから、あなたやってよ」と「あなた任せ」「オバマ任せ」にしてしまうのではなく、世論を高めて、それぞれ自分に一番近いところから、核兵器廃絶に向けて具体的にいろいろな動きを起こしていくことが大事だ。今やっていることから、もう一歩踏み出す意思、そして勇気を持つ必要がある。

演説の中に「ヒバクシャ」という言葉が

オバマ大統領拡大演説するオバマ大統領=5月27日、広島市の平和記念公園、代表撮影
 それから、演説の中で「ヒバクシャ」という言葉を使ってくれた。「ヒバクシャ」という言葉は国際語になっている。それが国際的に認められたのは、1970年代に開かれたNGOのシンポジウム。それまでは「A-bomb survivor」(生き残った人)とか「A-bomb victim」(犠牲者)という言葉を使っていたのだが、「ヒバクシャ」という日本語を使おうという合意ができて、それが広まった。

 平和関連の仕事をしている人の間では、「ヒバクシャ」は国際的に認知されている言葉だが、普通の人の間では世界的には通用していない。それをオバマさんが使ってくれたことで、今まで以上に広まる。「ヒバクシャ」という言葉で我々が表現しようとしてきたのは、被爆体験だし、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という被爆者のメッセージ。それが一つの単語で、一つの象徴として、世界的に広がっていくことのきっかけになったと思う。

 オバマ演説には、広島市長が発する平和宣言の表現と重なっているところが多くある。例えば、オバマ演説では、最後にアメリカの独立宣言の引用から始めて、全体をまとめていると言える部分があるが、一番最後の文章は「広島・長崎は私たちの道義的目覚めの始まりであるべき」だ。2005年の平和宣言ではその年を「継承と目覚め、決意の年」と位置付ける言葉として使っている。

 演説中、その少し前では「命そして平穏な生活が大事だ」と述べている。それも平和宣言には何度も出てくる。「命」と「生活」の関係が大切なのだが、結局、「平凡な日常生活が命の意味なのだ」と説明した上で、「その生活の視点を世界のリーダーたちが取り入れて国の政策を作り、平和を実現すべきだ」と述べている。これは平和市長会議(注1)でずっと主張してきたことでもある。

注1:核兵器廃絶に賛同する世界の各都市で構成される国際NGO。2016年3月現在、世界の約7000都市が参加している

 都市と国との違いは、オバマ大統領が言った通りで、一人一人の人間の平凡な生活に投影されている命を出発点にして国の政策が決定されなくてはいけない。平和市長会議という組織が、都市の連携を元に活動する上での大前提として、市民の生活を守る一番基礎的な単位が都市だという事実がある。世界のどの国も、都市の視点からの政策転換をしてほしい、核廃絶をしてほしいということを平和市長会議はアピールしてきた。オバマさんはそれを言ってくれている。そこが素晴らしいと感じた。

――広島の被爆者の人たちは今回の訪問をどのように受け止めているのか。

 基本的には大歓迎している。長い間、アメリカの大統領に広島に来て欲しいと願い活動を続けてきたからだ。被爆者の多くが個人的にアメリカの大統領に手紙を書いたり、いろいろな場で訴えたりしてきた。

全米市長会議で訪問の意志を示したオバマ大統領

 私の場合は2010年1月、全米市長会議の総会に招かれた時に、アメリカの市長たちと一緒にホワイトハウスに行った。オブザーバーだから、私は黙って後ろの方にいた。そうしたら、アメリカの市長たちが文字通り背中を押してくれて、「お前、最前列に行け」と言ってくれた。それで一番前に行ってオバマ大統領と握手をして「近いうちに広島に来てください」と直接招待をした。大統領の答えは「Yes, I would like to come」。自分の意志として、はっきり「行きたいです」と言ってくれた。それ以前のオバマ大統領の表現は「行けたらいいですね」といった間接的なものだった。自分の意志をはっきり示してくれたのが初めてだったので、これは大丈夫だと思った。

 アメリカの市長たちが私を前に進めてくれたのには理由がある。全米市長会議では総会の度に、「2020ビジョン」(注2)の支持決議を採択してくれていて、その中に、大統領とか閣僚、国会議員は広島あるいは長崎を訪問すべきだという項目もあった。広島市長は自分たちの決議の代弁者としての役割も果たせるからという意味で、前に押し出してくれた。

注2:平和市長会議が策定した、2020年までの核兵器廃絶を目指す行動指針

訪問に反対する人たちも巻き込んでいく必要があった

――訪問後に出た論評の中で、オバマ大統領は広島に行く前に米軍・岩国基地で米兵を激励したが、被爆者とじっくり話をする機会は持たなかった。岩国基地に行く時間を被爆者との対話に振り向けるべきだったという意見があったが、この意見をどう思うか。

 それは正論だと思う。その上で、別の現実を見る必要もあったことは理解できる。それは、アメリカの国内感情だ。まだとんがった反応をする人がたくさんいる社会状況だ。例えば退役軍人とか、オバマさんの広島訪問に反対するような人たちにとっても、広島に行くことは意味があると納得してもらえる状況をつくる必要もあった。それが現実的な政治家としての配慮だ。

 訪問の時間を被爆者のためだけに使ってくれたとしたら、それは素晴らしかったと思う。でも、それはこちらの都合だけを考えていることで、アメリカの都合、オバマさんに反発するような人たちへの配慮を考えると、あれは適切な政治的判断だった。

 兵隊は命をかけて国を守っているという現実があって、その人たちもアメリカ、世界の中で一定の力を持っている。その人たちも巻き込んで次の時代をつくっていく作戦を考えると、その人たちともパイプをつくりながら、じょじょに考え方を変えていく、システムを変えていくという手順は、当然考えるべきことだ。

 より具体的に説明すると、岩国基地があるという前提、また広島を訪問するという前提で考えると、岩国での言動は、基地に配属されている米兵たちが持ったかもしれない反発を、「広島訪問は良かった」という「共鳴」に変える力があったように思う。

 しかも、もっと長くても良かった演説を短くし、その代り握手に変えたこと、そして短い演説の中でも、軍事行動以上に災害の救助や支援の活動に力を入れたこと等、力の支配を是認し軍拡を奨励することはできるだけ抑える努力をした、と私には読めた。

 一つの結果として、

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筆者

秋葉忠利

秋葉忠利(あきば・ただとし) 前広島市長

1942年、東京生まれ。東京大学理学部数学科・同大学院修士課程卒業。マサチューセッツ工科大学(MIT)でPh.D. を取得後、ニューヨーク州立大学、タフツ大学等で教鞭をとる。世界のジャーナリストを広島・長崎に招待し、被爆の実相を伝えて貰う「アキバ・プロジェクト)」の運営に携わり、その後、広島修道大学教授に。1990年から衆議院議員を10年近く務めた後、1999年に広島市長就任。3期12年在職。市長在職中、平和市長会議会長を務め、市政では財政再建、情報公開などに力を入れ、暴走族追放条例、オリンピック招致にも取り組んだ。アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞、「オットー・ハーン平和メダル」などを受賞。現在は原水爆禁止広島県協議会代表委員などを務める。 著書に『真珠と桜-「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(朝日新聞社刊)、『"顔"を持ったコンピュータ』(コンピュータ・エージ社刊)、『元気です、広島』(海鳴社刊)、『ヒロシマ市長』(2012年朝日新聞出版) 、『新版 報復ではなく和解を』(2015年岩波書店刊)、『天皇と憲法――数学書として憲法を読む』(近刊)など。原爆で死にゆく子どもたちの姿の記録『空が、赤く、焼けて』(奥田貞子著、小学館)の監修にあたった。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです